遠距離介護は「不要・不急の外出」には当たらないとは思っていても
このご時世、帰省して胸を張っているわけにはいきません。
家の中でも母といるときはマスク、
外に行くときにも必ずマスク(これは東京でもデフォルト)、
母に代わって買い物に出かけるときは、もしも自分が感染していたときに
相手を濃厚接触者にしないような距離の取り方に注意しています。
感染はしていないと思いますけど。今朝の検温も、自分は35.2℃でした(低すぎて凹む)。
遠距離介護のご著書やブログを拝読している方も
4月の帰省はやめるという苦肉の選択をされたそうで、
こちらの胸も痛けりゃ肩身も狭い…と、感じています。
今日ケアマネさんと電話で話をしたときに
私が帰ってこられるかどうかを気にかけていただいたと聞き
母の状況を理解してくださる方がいらっしゃるようでうれしかったです。
自分の行動がマイノリティで
世が世なら「非国民」と言われかねない状況なので
「仕方ないよね」と言っていただけることで
免罪符をもらった気持ちになるのだと思います。
個々の高齢者の状況は、傍目にはわからないところがたくさんあります。
うちもそう。傍目には元気にあふれたカクシャクとしたスーパーばあちゃんです。
それも多分ADHD由来の演劇的なところでそうなってしまうと感じています。
人前だと、全然違う人みたいに、調子がよくなります。
※私が子どもの頃からそうでした。
だもんで私は来客が大変好きだったのです。母がゴキゲンに見えるから。
感染地帯から帰ってくることが危険といわれても、
別の危険(いちばんは母の認知障害の劇的進行)が
目の前にあることをリアルに感じてしまう自分にとっては
代わりにサポートする人がいない以上、通うしかないなと考えています。
それにしても、1月下旬から、都市がロックダウンすることによる
遠距離介護の行動制限はたびたびシミュレーションしましたが
それが道徳とか、人道的見地からによる行動制限になるとは、考えていませんでした。
母だけのことを考えたら、たとえ重症化を想定したとしても
「母の新型コロナ感染症罹患リスク < 母の認知障害進行リスク 」なので、
帰省、となります。
しかし、九州居住地の医療崩壊リスクまで想定すると、
答えを出すのは難しい。
左に何を置くんだろう。それに対して右は本当に軽いことになるのか?
……一呼吸置いて、例外を見つける時期なのかな。
今朝、起床してきた母が開口いちばん
「あなたいつからいるんだっけ? もうずっといるような気がするんだけど」と言いました。
「ずっといたら楽しい?」と聞くと「そりゃあそうよ」。
なんでも、夜中に目が覚めたときに、階下に娘が居ると思うのがとても心強いそうです。
「番犬みたいなもんだからね」と私が言うとキャッキャとはしゃいでいました。
…と、航空会社から、搭乗予定便減便のお知らせメールが届きました。
でも、この時期運航してくださるなんて、ありがたいです。