私自身がガンガン忘れてしまうので
以前の日記帳を紐解いて、母サポートの様子を
時系列でまとめているところです。
私は長い間、実家によりあまりよりつきませんでした。
よくある母娘のもめ事もさることながら
嫁いだからには嫁ぎ先の親を優先したい思いもあったように思います。
嫁ぎ先の義父が亡くなり、しばらくして義母が亡くなったのが2015年。
自分の母サポートに専念するのは翌2016年からです。
2016年4月の帰省時に
「これからはできれば3、4か月に1回帰ってきて欲しい」と言われて
九州への帰省が始まりました。
このときすでに、元気に見える母の抱える異変に気がつき始めています。
今、母との衝突が少ないのは(決してないわけでもない!)
自分の視点が変わり、
母をマクロでも広角でも見ることができるようになったおかげです。
ずいぶん長く「私の大好きなお母さん」という視点でしか
母を見ていなかったように思うのです。
今も「私の大好きなお母さん」は変わりませんが、それよりも
個人としての母を見ようとしています。母という役割ではないところの個人を見る。
すると今まで見えなかった多くのものが現れてきました。
一種のリフレーミングかもしれません、
この落書きは2年前。母が大病をして退院した3か月後です。
日記帳に挟んでありました。
私の行いに対して、母が猜疑心をもち、何かというと責めてかかった時期がありました。
いや、今もさほど信頼はされていないのかもしれませんけど(笑)。
しんどいなぁと思ったので、怒った顔と下の3行を書いてテーブルに置いていたら
どんどん絵が付け足されて歌舞伎調になってきて
右の言葉が加えられていました。
あまり思い詰めないこと。離れて物事を見るの、大事ですね。
「人生は近くで見ると悲劇だが、
遠くから見れば喜劇」という
チャップリンの言葉が大好きです。