持病のため、二十代で不妊を宣告されました。
もとより子どもは欲しくなかったし、とくに不都合はありませんでした。
それが39歳の時、子宮内膜症の二度目の開腹手術時に、
卵管に造影剤を通す検査をしたら(通った!)、退院後にまさかの妊娠。
驚いたってもんじゃありません。
それはたましいが表裏逆になっちゃうような体験でした。
お腹の中に新しいいのちがある。そのいのちを守る者になると自覚した瞬間に、
今まで大切だと思っていたことのほとんどは、どうでもいいことになっちゃいました。
まだかすかに引きずっていた思春期の青さが吹き飛ぶ瞬間でもありました。
会心の詩を書きたいとか、丁寧に文章をつむいでいきたいとか、
そのために自分は生きているとさえ思っていた“大事なこと”は
愛しい存在の前には木っ端みじんになりました。
そう。新しいいのちは、たまらなく愛しかった。
マジで!?
すごいな、いのち。すごいな、子ども。
いのちを未来につなぎ、
人の親になるという尊い仕事の前には全てがかすむような。
もちろんごく個人的な感想です。ただ、私はそう感じたし、
すりあわせたわけではありませんが
きっと夫も近い感覚を持っていたと推察します。
けれど、
めくるめく高揚感を味わわせてもらったのはひと月もなくて、
受精卵になりきれなかったワラビちゃん(と、名をつけていました)は、
40歳の私の誕生日に、流れ星になりました。
とても悲しかった。
ほんのひと月の間でしたが、壮大な夢を見させてもらって、
つかの間、本当に、私はお母さんにさせてもらえたのです。
価値観変わっちゃったな。
あるいは、少しバランスが良くなったのかもしれません。
自分に与えられたいのちに、ようやく謙虚になれたかもしれないな。
無事に生まれていたら中1、今年は初めての夏休みです。
今でも、ワラビちゃんは近くにいるような気がしています。
昨日のブログに書いた、
〈亡父が小さな女の子と手をつないで幸せそうに立っていた…〉イメージ。
↓ ↓ 昨日の記事はこちらです。 ↓ ↓
瞑想中に浮かんだイメージを見た瞬間に
私は「ワラビちゃんだ!!」と思い、満ち足りた気持ちになりました。
あの世で父に手をつないでもらっていたらもう安心、大丈夫。
…というイメージの話を母にしたら
母は即座に「ミカちゃん!!」と叫んだわけです。
母娘それぞれが、胸の奥底に大切にしまっている愛しい存在がありました。
あの子は本当はどちらだったんだろう? 詮索するのはよしにして。
会えなかった人にも会えるお盆。
うれしいけれど、8月はいつだってやっぱり少し寂しいな。
ところで、私が三十歳の頃
「そういうわけで孫の顔を見せられない。ごめんね」と母に詫びたところ
「そんな人生もいいわよ。子どもはいないほうがラクよ?」
としみじみ言われて、微妙な気持ちになりました。いや、ありがたいけどさ。
母さん、私を育てるの、そんなに大変でしたw!?