認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

コーディリア、幸せな結末を目指すぞ!

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教科書のはたしか福田恆存訳だったような記憶があります。

中学の国語の教科書にダイジェストで掲載されていた『リア王』。
三女・コーディリア姫の毅然としたイメージが印象に残り
その後の自分の人生にふんわり影響を及ぼしたような気がします。
親と対峙するときに何かと思い出すからです。
最近捉え方が変わってきました。

父にめっちゃ期待されているのに、わかっていても
美辞麗句が言えない、実直で、心優しい末娘コーディリア姫。
思春期以降、親と話すときにはいつも、
頭の片隅にコーディリア姫がちょこんと座ってこっちを見ていたように思います。


リア王』から学んだことは
耳優しい言葉を並べる者を信じるな。
言葉で飾らない中にある愛を、真実を、すくい取れ。


でも、時が流れて、親を介護する側になったこの頃は、ふと、
おだてられて、長女と次女の奸計に陥るリア王がおろかなのではない。
コーディリア姫がもう少しだけがんばって
父に歩み寄ってあげればよかったんじゃないか。

それをしてあげられなかったことから
始まった悲劇なんじゃないかと思うことが増えました。


たとえば、優しくするならわかりやすく!

「父への愛は子の務め」的な回答が精一杯だったコーディリア。
あるいは、親愛なる父ならば私の本意を察してくれるであろうという
娘の甘えがあったのかもしれなくて。
もしも親が認知障害を起こしていたら、
子の甘えと期待は、ないものねだりです。


介護が始まった場合の多くは(始まっていなくても多いのかも)
おそらく親にはもう甘えられないことのほうが多い。
「~してくれる」「~してもらう」期待は、親に対してしないほうがいい。
親の現状を認めるのはなかなかつらいことですが
子が正しく認識できていないと、
いつまでも親に「べき」を押しつけて、怒りの感情を持ってしまいます。
「どうして~してくれないの」「なんで~ができないの」
それは不幸の始まりです。


わかっちゃいるけど! こっちもそうそうできんわなぁ。
だって私は母の子だし、大好きなかつての母の影を、まだ今に重ねますから。
見た目一緒ですからね! 
たまにホントに戻りますからね!!


しかし、時間の感覚をほぼ失いつつある母を見て
母は、究極の「今、ここ」に生きる人だと感心します。
過去と未来に囚われているのは私のほうかもしれません。
母の今を見よ、じぶん。そして私の今を見よ。
せめて、できるだけ、母が苦しい悲しい感情の中に入り込んでしまわないように
おだやかな時間が過ごせるために、さて私にできることはなんでしょうか。
無理はせず、最善を尽くせれば素晴らしいと思います。
そんなときは盛大に自分をほめてあげよう。


残りの持ち時間が少なくなった高齢者には
相手が望む言葉をきちんと言ってあげたり
耳障りのいい言葉で持ち上げてあげることだって結構大事。
てのひらで相手の手をゆっくり包み込んだり
こちらのぬくもりを伝えることも大事。
もしかすると、膝をついて、
相手の目をのぞき込みながら話しかけることも大事かもしれない。

 

たくさん演出があっていいし、盛っていいし、じゃないと
相手の欲しい愛が、相手が伝えて欲しいと思うようには伝わらない。たぶん。
まだ、今、意思の疎通はできます。ならば
たとえ苦手でも練習して、相手が喜ぶように言ってあげなきゃね。
今、わたしのこの行動は、支える思いが、相手に伝えられているかな。
相手に求めてはいけない。
いまだにしょっっちゅうこんがらがっていますが、
大丈夫。わたしの思春期はとっくに終わっている。
自分は介護する側で、母は介護される側なんだから。


さあ、コーディリア、大人になろう。ぼくら幸せな結末を目指すぞ。


黒っぽい表紙は福田恆存訳。その後小田島訳(白水Uブックス)を読んだときは新鮮でした。そして今、リア王Kindleで読めるんですね。なんだこの素晴らしい世界。