認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

笑顔を放ってぬくぬくをもらう

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「外応(がいおう)」という私の好きな考え方があります。
自分が問いを投げかけると、
外側の世界が応じてくれる=答えをみせてくれること。


ざっくり言うと、
宇宙(私の肉体、エネルギー体などの外側)と私自身(私のインナーサイド、意識、内側)が呼応する性質を利用したものです。
「呼応している性質」が正しいかどうかはわかりません。
ただなんとなく、そんな感覚があるだけです。気のせいかもしれません。
別の言い方をすると、集合的無意識にアクセスして活用するとも考えられます。
繰り返しになりますが、外応とは、
私が宇宙に対して問いを投げかければ、宇宙が私に答えを見せてくれるというものです。


シンクロニシティ」という言葉を好んで使う方もいらっしゃいます。
心理学者のユングが見つけた(提唱した)、
一見、因果関係のないように見えるもの同士の、共時性のある“超因果関係”。
やはり集合的無意識と深く関わりがあるといわれ
これも、宇宙と自分が相似であることの利用だともいえそうです。
※「宇宙」と書くことでわかりにくくなっているかもしれません。「自分が意図して切り取る世界」、でもいいのかもな。ただ、広義では、肌の向こうは全部宇宙、肌の内側もこれまた宇宙、と考えています。そんなの考え始めると楽しくてとまらないのです。
 
集合的無意識って、ざっくりいうとこんな感じ。
お風呂に入っているときに、湯船から自分の指先を出してみる。
指先を、たとえば、Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんだとすると
離れて見えるそれらは、見えない深くでつながっています。
隠れた手首の部分にあたるのが「集合的無意識」です。

え? 余計わからなくなりました!?

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おれは、絵が下手…


外応をキャッチするのは、
コツさえわかればだれでもできるので、私もよくやります。
ただ「問い」を宇宙に向かって投げるだけ。
そのとき自分に見えた、気づいた事象や景色がその答えです。

パッとつけたTVやラジオ、駅や電車で接する景色、開いた瞬間に触れたSNSのコメント、
すれ違う人の会話、車のナンバーなど目に飛び込んできた数字…
※宇宙はわりとシャレが好きみたいだと感じていますが、どうでしょう。
キャッチするのに慣れてくると、
問う前から、答えをちらつかせてくれます。グレイト!
本当は、いつだって宇宙はものすごく親密です。親密な謎に満ちています。


私はちいさいので、できればいつも心地よいものに触れていたい。
触れて安心していたい。
笑顔とか喜びとかあたたかさとか調和とか。
できれば怒号とか寂しさ恨みつらみ憎しみなど、
ふつうにイヤなものにはあまり触れたくありません。
そのネガティブなところに引っ張られることを、面倒だと感じてしまいます。
それよりも
よい外応に囲まれて心地よくありたい、いまだにそう思います。


と同時に、私はどなたかの宇宙の構成要素になります。
私は、どなたかが見る景色の背景になる。ほんの1点の小さな小さな構成要素かもしれませんが。
そのとき、自分がそのどなたかにとってのいい外応になることを願います。
ですから本当はいつもニコニコしていたいのですが
少し気を抜くとすぐ眉間にシワをよせて、小難しい顔をしてしまいます。
考えるときの表情グセなんです、ごめんなさいですよぅ!!
あっ、と気づいたら、口角上げて、ニコっ(ニッセイCMのママみたいに)。


現金な話ですが、自分が宇宙に放った「ニコッ」は、
また別のところから「ニコッ」となって自分に帰ってくるように感じています。
たぶん、同じエネルギーが引き寄せあう法則なんでしょうね。
私は現金な理由で「ニコッ」の貯金をします。

全部気のせいかもしれません。
その「気のせい」を大切にして暮らしています。
だって楽しいんですもの。

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母にはよく、「フクみたいに楽天的にはなれない」と言われます。
たぶん、楽天的というよりも、現金なのだと思います。
ネガティブなところにはまり込んでるの、疲れちゃうし、体力ないし、
正直言うと飽きちゃうし、
「もったいない」と感じてしまう。やっぱり現金だな。