認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

今日・今を示す「紙のカレンダー+電波時計+アナログ時計」

今日がいつかがわからなくなったときのために
実家では電波時計を採用しています。
母のよくいる各部屋…ダイニング、居間、母の居室に各1個。
人と話すことが多い玄関先にも。それから洗面所にも。電話の横にも。


母はカレンダーが大好きで、
まるで手帳のようにぐしゃぐしゃに書き込みます。
「今日がいつか」きちんと認識できていないので書き間違いも増えました。

そこでこのトリオです。
紙のカレンダー+電波時計+アナログ時計(針のあるもの)。
カレンダーを見るときには、このトリオがまとめて視界に入るようにしています。


「今日何曜日?」とか「何日だっけ?」とか
母が自分で確認できることが大事です。

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訳あって、上写真はアナログ時計がやや離れています。

洗面所はこんな感じ。
この夏、お風呂のドア横に、
母がいつお風呂に入って、髪を染めて、洗髪したかを記入するものを作りました。
いろんなカレンダーに母が気分で書き込んでいて
間違ったり、あちこち書いてまったく把握できなくなっているのを改善しました。
そしてカレンダーに記入するなら、やはりそばに電波時計がないと意味をなしません。
書き忘れもしょっちゅうですが、なんとか今もつけています。
がんばれ、母さん。

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ぺろーんとヒモで下がっているのが記入用の筆記具。なくさないように。

以下、超余談です。【カレンダーは難易度高いと思う】

私が3歳くらいのことです。
大人がカレンダーを見て、今日はいつなのかを確認し、いろんな話をするのを見て、
「これはなんてすごいものなんだろう」と思っていました。
ある日、カレンダーの見方を母から教わったとき、
日付がわかるか、曜日がわかるかしなければ、
さらにある程度の見当がついていなければ使えないと知り、
「なんだつまんない!!」とがっかりしました。


本当は、宇宙からやって来た人や、次元を超えてポッとここに現れた人も
これを見ればすぐに今日がいつなのかがわかるものであってほしかったのです。
まあ、自分が一番知りたかったのですが。
針の付いた時計も、
約束事がわかる人にしかわからないのが不満でした。
約束事を忘れたら、まったくわかんないじゃん!!

あのころのぼんやりした時間の流れ方をよく覚えていて、
いくつ寝ても「さいらいねん」が来ないので、私はそういう役割をしつづけるのだと思っていました。「さらいねん」は永遠にこない…。


だから見当ズレや認知障害を起こした人にとって、紙のカレンダーがなんの意味もなさないことが、
体でわかります。つくりが難しい。
あれは、頭のいい人しかわからないつくり。と、瞬間に3歳児と同期
時計もね。

この頃よく、「時間」の概念は社会的約束なんだな、と思います。
自分との約束もあるかもしれません。
そうした約束がないならば、今日がいつか、今何時なんてどうだってよくて
おひさまが昇って、沈む間に、にこにこたゆたって、
ただ楽しく生きていれば最高なんじゃないか。


いずれにせよ、母が元気で楽しく笑ってくれていたら最高だ…と
いつでも思える自分ならいいです。
がっ、こちらに余裕がないと難しいような気がします。
そう。問題はわたしの余裕不足です。

 

日本人が時間に細かくなった歴史は浅く
明治時代になって西洋式の時計が導入されてからのようです。
それ以前、江戸時代は各家庭に時計なんてなく、
お寺の鐘などを時計代わりにしていたおおらかな暮らしでした。

追えば追うほど、時間の概念はおもしろいですね。
最近は映画『テネット』の影響で、「記憶媒体、大事」と刷り込まれていますw。