高齢ADHD母の遠距離介護記録

89歳独居の母は要介護1。高齢者のADHDと。東京~九州で、遠距離介護しています。私1965生。介護しながら母娘関係をおさらい、修復しています。

白黒つけずにグレーでいこう

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2018年の今日は新潟県阿賀野瓢湖にいたんだな…と懐かしくなりました。…「グレーの世界」で思い出したので。

 

“可哀想がり”のうちの母は、昭和一桁時代ならではの
過酷な幼少期を生き抜いています。父はさらに過酷だったようです。
親がいなかったり、死なれたり、殺されかけたり、捨てられたり。
そんな父母の育ちからすると、
私が“可哀想”と人に言われる状況は、鼻くそにも満たないことになってしまいます。
比較じゃないけどな!


そんな親たちの「家庭」「家族」「愛情」についての“こだわり”は、半端なかったことでしょう。
“思い入れ”ではなく、執着がからんできそうな、ネガティブをはらんだ“こだわり”。
若い父母の様子を映画を見るみたいに遠くからただ眺めていると、
「いやいやいや、肩に力入りすぎてっからw」と突っ込みたくなりますが、
ちゃんとした家庭をつくろうとするひたむさにはグッときます。
※当時の私ではなく、“映画”を眺めている現在の私の感想です。


実際には、
いささか機能不全の家庭であったかもしれません。
でもいいじゃん、みんなよくがんばった、よく生き抜いた、と思えるのは
自分がアラ還のせいかもしれません。
だとしたら、年を取るのはすごくいいぞ。


先日、「白黒ハッキリさせたがる自分が、グレーを認められるようになること。
それを愛と呼べるのではないか」という話を伺ったときに、
話してくださった方に思わず拍手しました。
うまいことおっしゃるな。
「愛」という崇高なものを、私はいまだにうまく捉えられない。
感じられても、自分の腑に落ちることばにしかねています。
それでも「グレーを認められる」は、すーんと自分の真ん中に落ちてきました
ジャッジしないこととも言い換えられるのかもしれないな。
相手のことも。私のことも。


そういえば、可哀想がりの母は、
母自身のことも「○○ちゃん、可哀想!」と、はばからず言うこともあり、なかなか微笑ましいです。

たとえ
……かわいそなんはこっちやでと背中で吐き捨てることがあったとしても。

グレーでいこう、グレーで。