認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

高齢母が時々ゴジラに見える

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「潜在意識とつながっている大切なものを探す」という
不思議ミッションが降ってきたので
かなり久し振りに入れ子の箱を開けました。

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四十代の父が幼い私のために作ってくれた入れ子の箱です。
大切なものなのであまり開けないようにしていました。
擦れて紙が傷むせいもありますが
なにより当時の空気が箱の奥に少しだけ残っていそうな気がして。
父が生きていた頃の空気。

2年ほど前、実家で母に見せたら、目を輝かせて喜びましたが
私にとってはよくない輝き方でした。
…見せるんじゃなかった。案の定、
「次の学習会のときに持っていってみんなに見せる!」と意気揚々です。


自分でもケチくさいとは思うのですが
でも、壊されそうで、失くされそうで、すごくイヤでした。
宝物なのに。
こんなとき、多動の母はゴジラに見えます。
それでもワクワク感いっぱいの目に上目遣いに見つめられ、
あきらめて母に預けて、帰京しました(2年前の話です、しつこいけど)。
母が小躍りしたのは言うまでもありません。

その次に帰省したら、入れ子の箱は仏壇に置いてありました。
きっとひと仕事終えたはずです。
今度は母には断らず、東京に持ち帰りました(だって、私のですから!)。
持ち帰って自室に飾って、ほーっ。
傷めるのがイヤで箱は開けませんでした。


それが、今日入れ子の箱を撮影してみようと中を開けていったら。
いちばん小さな
3ミリ角の立方体箱がないですやん。

父がピンセットで作ったヤツ。
ピンセットでちゃんとフタが開けられる3ミリ箱。
…ない。
ものすごく悲しかったです。
犯人はわかっていますが責められない_| ̄|○


あとね、どうして名前を油性マジックでかいてんのさ、母さん。

😭😭😭

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しかも私の旧姓(母の姓)。私のだってば、この箱!!😭😭😭

入れ子の箱の思い出】
1973年の年末年始のお休みに、父が作ってくれました。父は学生時代に箱づくりのアルバイトをしていたそうで、わたしの大判の千代紙を見ておもむろに作り始めたのでした。当時私は小2。
そんな家族サービスはそれまで一度だって体験したことがありません。父はサラリーマンでしたが、職人的釣り人でもあったので、休日は晴れでも雨でも釣りに明け暮れ、家族と過ごすなんてことは年に3日間もありませんでした。
この極上の時間がつくられたのにはワケがありました。当時、父は宮城県仙台市で単身赴任しており、年末年始を利用して家族のいる兵庫県西宮市に来ていました。つまり、釣り道具がなかったのです! ヤッホー!
釣りができない、娘と遊ぶ術も知らない父が始めたのが、この入れ子の箱づくりでした。これは2つめに取りかかった入れ子箱です。1つめは5つの入れ子箱で、結構ざっくりしていて、数年後に私が個々で使ってしまいました。この2つめの箱は、箱と箱の寸法をきっちり計算しながら精度を上げて作りました。「次」はありません。私にとっては奇跡の箱。本当は11個のはずなのに。最後のキメのピンクの箱がない…。あの箱だけはボール紙ではなく、画用紙で作ったんだよ。

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娘のものは母のもの、母のものは母だけのもの…。

そういえば、父の大切にしていたカーボンの釣り竿を
私が誤って釣り場で折ったとき、
父は「形あるものはいつか滅す」と言ってくれました。叱られなかった。
そうだ。形あるものは仕方ない。
母はかけがえのない人だものね。


まあいい。