認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

実家の断捨離 30年前の段ボールを片付ける

実家に介護帰省を始めた2015年から
実家の片付けを本格的に始めました。
手始めはここ、ガラクタが垂直収納された階段下の物入れでした。


壊れていた扉のドアキャッチを取り替えて開閉できるようにし、
とりあえず使えるように中をざっくり片付けて、
ちょっとしたものを収納できるようにはしていました。
ただ、応急処置のままで
奧の段ボールをすべてあらためておらず、ずっと気になっていました。
カビ発生ポイントでもあるのです。
それで、今回重い腰をあげ、エイヤッ!と片付けました。

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写真は2015年に片付けたあとの状態です。
紙を貼ったこの段ボールが問題の箇所。30年前からある段ボールです。
少しでもカビを防止するために、
水取りぞうさんを3つ、クレベリン、炭を仕込んでいます。
張り紙は、母が食品を収納しないように(ここで虫までわいたらえらいこっちゃ!)。
この状態で帰京するのですが、次に帰省したときには
下の状態になっています。紙袋の洪水…。

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母、「もったいない」と、紙袋を溜め込みます。
毎月帰省のたびに母に内緒で、溜まりすぎた紙袋をごっそり処分します。
正確には紙袋だけでなく、割り箸も、箱も、袋も、なにもかも溜めてあります。
悪いけど適量になるよう処分します。


今回の計画は
 1 問題の段ボールをあらためた後、撤去。
 2 風通しがよいように構築し直す。床と三方の壁面にはすのこ設置。
 3 荷物が取り出しやすいように引き出しタイプのプラケース「Fits」を導入。

です。まず採寸して、先にすのことプラケース「Fits」を密林で購入しておきました。
天気予報の晴れの日にあわせて決行です。購入物は以下。

箱の中、めっちゃ年季入ってます。30年ですもの。
下のほうの箱はカビでびっしり。しかもカビが乾いて白い粉になってました。
2015年の片付け&定期的な水取ぞうさん等が効いたと思われます。

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カビで汚染された床や壁をエタノールで拭き、乾かします。
セットしたあとはやはり、水取りぞうさん、クレベリン※、炭を投入しました。

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※クレベリンは、締め切ったこうした場所(人がふだん生活する場と離れているところ)でのカビ対策には有効だと感じています。新型コロナ対策としての使用を推すものではありません。

30年ぶりに発掘された夫婦湯呑みの数々…。
せっかくなので丁寧に洗って食器棚に。いつでも使えるようにしました。
「食器棚に食器をたくさん置いたら床が抜ける💢」と怒る母をスルー。

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私的にはいちばんのお宝ハックがこちら。陶器製の湯たんぽです。
たしか曽祖母から母が受け継いだもの。このまま火にかけられる&やさしい温かさなのが最高です。

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完成です。できあがると母は喜びます。母のよいところ。スッキリで気分いいでしょう、母さん。
すのこ活用で風通しよく。引き出し配置で荷物が取り出せるように。
紙袋と洗濯 ハンガーは引き出し上に配置しています。

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私の長年の気がかりもこれでスッキリです。


でもだがしかし。
今回の帰省時に、仏間のクローゼットをそっと開けてみたら
父のスーツと仕事着などが整然と並んでいました。
実に、父亡き後、30年間このままだった模様…。
追々片付けていこうと思います。

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びっくりしたーっ。まあ、次の目標ができてよかったです。片付け好きですから。

【記憶障害以前から、片付けられない母でした。きっとADHDだったから】
階段下の物入れは、以前にも何度か片付けていました。
最初に着手したのは1996年くらい。父亡き3年後、はじめてこの物入れを開けました。ここに父のものがあるのは知っていましたが、母に遠慮してそれまで開けませんでした。
中には父の趣味だった釣り道具が押し込まれていました。扉を開けると雪崩が起きるような、足でギューッと押し込めた瞬間に、扉をバタンと閉めたような、凄まじい収納状態でした。
私にすれば「ザ・父」という感じの一級遺品なのに、汚れてカビて、あまりに雑な扱い。
「母さんは父さんを亡くして悲しんでいるけれど、父さんが大事にしていた遺品の超ザツな扱いはなんと考えればいいんだろう。もしかして母さんは父さんをさほど愛してはいなかったのか!?」と疑問に思いました。この段階で、私は母のことをただのクセツヨさんだと思っていて、ADHDに気付いていませんでした。いや、当時はまだADHD自体を知りませんでした。理解できたのは20年後です。ごめんね、母さん。
この時に、父のお道具をハックして、母の許可を得て私が自宅に持ち帰りました。これがそれ。父、釣りのお供にこれらを持参して、釣り糸を垂れながらおいしいお茶を飲んでいたのです。もちろん出かけるときはほぼひとりです。…父よ。

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