日課のAlexa呼びかけしたら、ひどく険しい顔の母。
「手帳がない」と困っているところでした。
「あれがないと私は目が見えないのと一緒」。
そりゃそうです。
手帳に書いてあることが母の記憶のすべてなのですから。
「下駄箱の上に置いてない?」の私の言葉に探しに行く母。
「うちにあるから大丈夫。落ち着いて探せばすぐ近くにある」
「そうだろうか」
「うん、ちゃんとおうちにあるよ」
(一応、エネルギーで見てみると、近くにある感じはするので私も安心)
「気になるから先にしっかり探したい。
あとでもう一回電話して」とのことなので、一度通信を切りました。
カメラモードに切り替えて、一応私も探してみます。
Alexaカメラ、左右には動かせるけど、上下には動かせませんでした。
画面には見当たらないな。うまく母が気がつきますように!
20分後に呼びかけるとありました。
「あってよかった、あーん」と泣いています(嘘泣き)。
新しい来年の手帳と一緒にまとめて置いていて、わからなくなったらしいです。さもありなん。
「でもさ、母さんいっつも探してるよね。
一日一回は大捜索してるんじゃないですか?」
一か八か振ってみました。
「そうなのよ! だからもう、毎日忙しくって!!」
と笑い転げる母。明るくてたいへんよろしい。
「まあ、暇プーしてるよりいいんじゃない? 運動にもなるし」
「そうよね!」……まあいい。ホントに、まあいいのだ。
手帳をパラパラしながら
「これがないと本当に私、なにもわからないわ」
深すぎてちょっとせつないです。
手帳が母の記憶。どうやら“長”を引き受けている学習会のことが混乱しちゃった模様です。「今度の3月で“長”は引退したいけど、やめさせてもらえないかもね」と言う母はいつもちょっとうれしそう。もしやみなさん、ふんわり状況をわかっていて、母にやらせてくださっている疑惑を最近私は持っております…。あまりに形だけ“長”だから。でも潮時なのかな。わかりません。天の采配におまかせしましょう。
そんな母は、今日もバスでまちに出てました。
「出かけているほうがずっと元気だから。
うちにいたらボケる」
そうなので、これもまあいい、ってことで。
かわいい親には旅をさせろ。
…非行ばあちゃんにならないでね。
母は昔からメモ魔。還暦で他界した父は対称的で、「書いたことに満足して忘れてしまうからメモは危険。書くより頭に刻んで覚えたほうがいい」と言う人でした。手帳の記載内容もめっちゃシンプルだったっけな。どっちがいいとかじゃなくて、と、思い出します。