高齢ADHD母の遠距離介護記録

89歳独居の母は要介護1。高齢者のADHDと。東京~九州で、遠距離介護しています。私1965生。介護しながら母娘関係をおさらい、修復しています。

高齢母も完璧、私も完璧、という視点

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秋晴れが続き、大物洗濯できるのはうれしいです。くまさんのバスタオルは私の枕代わり。この世に生まれた時から一緒の相棒です。こうなったら棺桶にも入れてほしい。


日々、悩みや困ったことはあるにせよ、
「いのちは完璧である」「どのいのちも完璧」という考え方が好きです。
その話を伺ったときにスンと私の肚に落ちました。

母も完璧。私も完璧。
ADHDであろうとHSPであろうと
認知障害であろうと難聴であろうと子宮内膜症であろうと難病であろうとがんであろうと
それぞれのいのち、それぞれの人生、大きな意味ではすべて完璧。

という視点に立つと、景色は少し変わって見えるような気がします。
当然のことながら万物は変わり続けます。
すべての肉体はやがてこの場から消え去ります。これもまた完璧です。

四苦八苦があっても、それはそれ。
あってもなくても、正しくは感じても感じなくても、やはり完璧です。

そう思うと私は気持ちがわりとおおらかになります。

とはいえ、自分の肉体やこころの痛み・違和感に、私は比較的敏感な気質です。
あれもこれも、両手に抱えて余りあるほどの痛みや違和感。
病気になる前にキャッチする違和感も少なくありません。
悪いことではありませんし、
別に気質(=個性)だから感じたままに放っておけばいいのでしょうけど
やはり気になります。
なぜそうなるのかを考えてみると
ふと、自分の中の比較グセではないかと思いあたりました。

「人と自分を比べるのはよくない」と思っていたのに
知らぬ間に、過去の自分の肉体と今の自分の肉体を比べて
「痛い」「違和感」をすくい取っているようです。
あらびっくり。そうくるか!

もしも今、肉体を持たずにそのへんに漂っている
どこぞの誰かが私の肉体にぽーんと入ってきたら
「おお。なかなかいいじゃん。すっげー」となるでしょうに。

痛みや違和感をガマンしようというのではありません。
変化を慈しみ、経年した肉体と上手につきあっていきたいものよ、
と思うのでした。


「人は比較する生き物なのか???」と思うほど、自分も含めて、なにかとなにかを比べて喜怒哀楽する人が多いと感じます。他者と自分、境遇、進捗度とか、あの手この手で比較する。比べ上手は、日本の学校教育の賜物なのかな。私たちはあらゆることを比べられて成長しますから。

比較文学、比較演劇学、比較音楽学…「比較芸術学」というジャンルもあるくらいで、固有の素晴らしさを認識するために対比して物事を捉えるのは学問としては有意義です。しかし、個にはあてはまりませんわな。なにかの目安にできることはあるとは思いますが、個の状況・環境・条件が違いすぎて比較になりません。

どうやら自分をめぐる人・もの・ことの「比較」が、自分が安定する精神状態のツールになってしまっていることが多いようです。「安定」といっても、残念なことに、ネガティブさが自分の安定になっていることに気づきにくいのがつらいところです。つらい、しんどいが、もっとも安定しているというのは、自分はキツいし、見ていてイタい。
ちょっとしたトラップですわな。

でも、気付いた瞬間に消えるんです。ラッキーなことに。ポッ。瞬間に。完璧に。

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