年末年始から入退院を繰り返している兄。
リウマチ性の間質性肺炎で闘病中です。
同時に関節リウマチデビューで、苦しんでおります。
そんな兄が、私の介護帰省機関に合わせ、
実家に帰省することになりました。
家族が揃うのは1年ぶりです。
帰省予定の早朝に
「体調が思わしくないから行けないかも」と連絡があったので
「体調第一。今回はいいから延期してください」とレスしましたが
結局痛み止めを飲み飲み、1泊だけのとんぼ返りにして、
遠路はるばるやってきました。
「もう3人で会うのは最後かもしれないから」と本人談(昨今、超弱気になってます)。
もしや、例の、隣家への挨拶を義務に感じてきてくれたのか?と、申し訳ない気持ちに。
夜、きょうだいでゆっくり話すことができました。
兄、「今回のことはどう考えても母さんに非があるからねぇ」と、
感情的にならず、捉えてくれるのがありがたかったです。
「それにしても素晴らしい民生委員さんだよね。
このまちはしあわせだよ。こうした善意にあふれる方が民生委員で…」
兄、少し前まで地方公務員でいろんなケースを見てきており、発言に重みがあります。
「ところで母さんは、こんなでこれから独居できるのか?
ぼくはこの状態だからこれからも介護を手伝えることはないし、
もしもぼくだけなら、母さんがどんなに嫌がっても、施設に入ってもらうけど」
兄は兄で、私の生活を気にしてくれての発言です。
「いやいやいやいやいや。
私の目の黒いうちは、私が母さんのお世話して、
兄さんには一切迷惑かけないので、遠距離介護で続けます」
「今回は人道的な民生委員さんへの通報だったからいいけど
これが市への通報だったらだね」
「通報されたら、強制的にでも施設に収容となるのはわかっています。
それは仕方ない。
でも、それまでは、ご近所といろいろ波風立つなかで、
それに対処できるか、それができなくて私が母さんの独居をあきらめるのか、
最終的には私の判断だからさ。
ギリギリまで、行けるところまで行ってみるよ。
私は母さんと、私自身の、運の強さは信じてるし(・∀・)」
なんていう話をしたら、兄は半ばあきれていました。
「それにしてもこの3人で、
いちばん長く残りそうなのは母さんなんだが」
「実は私もそう思います」
きょうだいの見解は同じでした。
なにせ母とは、体力、気力の格が違う気がして(汗。
でもこればかりは誰にもわからない。
たらればの未来を恐れてもしようがありません。
それより今夜のおかずをどうつくるかのほうが大事。
私はもっともっとタフになろうと思いました。