認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

高齢母ADHD、中年娘HSP、気づいた瞬間ラクになった

私自身が劇的にラクになったと感じた、2つの瞬間。
どちらも50歳過ぎてから、転機は訪れました。

ひとつは自分の「HSP」という特性を知ったとき(2016年)です。
しんどくてたまらずにガチガチだったことが
自分の気質によるものだとわかった瞬間に、
ふわんとほどけたみたいな気持ちでした。

あ、しんどくて別にいいんだ。
悲しくても当然だ。
そんな気質だったのか。
みたいな。

【過去記事です】

子がHSP・母が非HSPの場合に、
子はちょっとしたサバイバーなのだ
と、エレインさんの本には書いてあって
自分が漠然としんどいと感じていたことに対して
免罪符をもらったようでホッとしました。
得体のしれないモヤモヤに、初めて共感してもらった感じです。

 

ふたつ目は母が「ADHD(注意欠如・多動症)」かもしれないと
気づいたときです。
肌感覚で感じていた自分にとっては深刻な違和感は、
オセロの黒が一気に白に裏返るみたいに
「なあんだ」「だよねぇ」「そっか!」に変わっていきました。
今まで決して解けなかった謎が一気に氷解してしまったみたいな。

 

ADHD」という概念を知ってから母がそうだと気づくまでに
10年以上はかかったと思います。
まさか母が発達障害当事者だとはゆめゆめ思いませんでした。
自分の周りに起きていることは、何もかもがふつう。
それがデフォルトだからです。

母を見ていて思うのは、
ADHD」がよいほうに出ると
明るくて社交的でノリがよく、精力的に活動する人…みたいな感じになります。
見た目ハッピーです。

なのに、それをHSPが捉えると、
「なにか決定的な違和感があるのはなんだろう!?」みたいな感じなのです。

 

昔はあんなに感じることがつらいと思っていたのに、
今、自分のHSP気質に感謝するようになりました。
もともとある妖怪アンテナを慈しむように
…なんなら毎日丁寧に磨いていますw。

しかも、幸いなことに、
ようやく気質を活かせるシーンが出てきたというか(←遠距離介護ですね!)。
HSP娘だからこそ気がついてあげられる母のことが
たくさんあるように感じています。

HSPが見つけるやりがい、生きがい(大違

母と私の、互いの豊かな特性を感じ取りながら
平均値などの数値や、
「周りのみなさんはこうなんだけど」に振り回されることなく、
私たち母娘ならではの経年、変化、閉じて次へ…の歩みを進めたいと思います。
同じじゃなくてもいいじゃん?


誤解を恐れずにいえば、
自分HSP、母ADHDの、2つの気づきというか目覚めを経て、
「人って面白い」
「肉体があるのって素晴らしい」
「変化って愛おしい」
としっかり味わえるようになりました。
おかげさまで。


しかもですよ。
ありがたいことに、まだまだ旅の途中なわけです。
ヤッホー。

今はこんなに脳天気ですが、30年前は
「今日もまだ生きてる」と、
目覚めると朝、泣いていたんです、私w。
タイムマシンがあれば、20代の自分の耳元で
「でも絶対大丈夫!」

と言ってぎゅうしてあげたい。
あと「ピアスはやめとけ」も伝えたい。

現場からは以上です。