認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

「ばあちゃん」のコンプレックス

父母とも熊本の出身です。
父の仕事の都合で、私は全国育ちです。

幼少のみぎりより
我が家では、祖母を「ばあちゃん」と呼んでいました。
何の疑問も持ちませんでした。

それが九州から大阪に引っ越したときのこと。
まだ幼くて(4歳)耳がいいせいか、
強烈な関西弁のイントネーションは3日もせずに身につきました。

「アカン!!」「アホー!!」「ホンマカ!!」と叫ぶちいさな私を見て
母は「そんなきたない言葉を覚えて……」
と、忌々しそうに言いました。
しゃあないやんけ。
「ドタマカチワッタロカ」とか言わんだけマシやと思いますけどね(北摂でした)。


引っ越した先でちいさな私が衝撃だったことは
近所の子どもはみな、「ばあちゃん」のことを
「おばあちゃん」と言うことでした。
「お、『おばあちゃん』?? 」
「お」がついてます、「ばあちゃん」に。みんなです。
「お」も「ちゃん」もついて、なんか最上級!!


子ども心に、自分の育ちが悪いような気がして
恥ずかしく思いました。
「いや、『ばあちゃん』やてぇ!」
とかいじられそうでハラハラしましたし。
ひとり真剣に「おばあちゃん」に矯正しました(汗
外で言うときには「おばあちゃん」。
でも家で「ばあちゃん」と言うのがなんかいちいち凹む感じ。
思わぬところで子どもは多感です。


その後、大阪でも兵庫でも仙台でも京都でも
「おばあちゃん」がほとんどでした。
九州に戻っても、小倉でも、おばあちゃんのほうが
多いように思いましたがどうなんでしょ。定かではありません。


こちら、私が子なしのため、
「ばあちゃん」にも「おばあちゃん」にもなれなかった母です。
うそでした。兄には子があり、孫がいるにはいます。諸般の事情で極めて縁が薄い。


日課の、夕方Alexa呼びかけ。ちょうど散歩に出かけるところをキャッチできました。お帽子がかわいらしい。

私が二十代の終わり、医師から正式に
「子どもは極めてできにくいでしょう」と宣告されたのを母に伝えたら
※私本人は当時「ヤホー!」と思っていたのでノーダメージです。
 ただ、母には悪いなと思いました。父は亡くなっていたし。
「子どもなんていないほうがしあわせかもしれないよ」
とすごくふつうに言いました。
ありがとう、母さん。え? ちょっと待って。
わたし、母さんの子どもなんですけど。


まあいい。