認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

「させる」じゃなくて「してもらう」。認知症の親だって


夕方、コンビニでたんまりお菓子を買い込んだ母が帰ってきました。コンビニまで、急な坂道を下りて登って、往復40分。今日も我が道を行く母。日傘代わりにさしているのは雨傘ですが。


自分が、介護の現場に少しいたことがあるからかもしれませんが
生活能力が低くなったり、認知機能が衰えてきたりした人(親)に対して
それでもなんとか敬意を持ちたい、払いたい、
せめて言葉づかいくらいはなんとか!!!
と努めています。
もっともウチの場合はまだまだ全然「御しやすい」から? 余裕があるからかもしれませんけど。

 

たとえば、誰かヘルパーさんらと母のことを喋るときに、
たとえばXやブログで母のことを一人語りするときに、
「○○させる」じゃなくて「○○してもらう」と言っておきたい。
言葉だけでも。たとえ気持ちは違っても。
「○○させる」の使役動詞を見ると、
胸がギューッと痛くなるような感覚を覚えるときがあるのです。
きれいごとじゃないのはわかっています。
たぶんあれですね、いつか自分が年をとったときに、
自分が使役動詞を使われたくないせいだ!
「されてイヤなことは人にもするな」と言われて大人になりました。
口先のことばで愛がはかれるわけではない。でもだがだけど。
「だいじだいじ」はきっとことばにあらわれる。


子どものときに、最低限、母に
ひとつの存在としてリスペクトされていたようにも感じたことがあったので、
それを今でも恩に感じてはいます。そのせいもあるのかもしれません。
正確には、きっと当時の母も
「しようと善処していた」のでしょう。それでよし。尊い

そんなことで一つ覚えているのは、私が中2のとき、授業中にこっそり書きためて、仲間にまわしていたポエムのノートの束が担任に見つかったとき。
家に持ち帰るのも親にバレそうでリスキーだったから、学校の机の中に置いていたのです。それを担任に見つかってしまって(担任、悪趣味!!)。

家に、担任が、問題のノートを持ってやってきて
「娘さんは学校で、こんなませたコトしてますよ、おかあさん!」
と、母にチクったときに
「えー、これ才能じゃないですか! うちの子すごくないですか!? 
なに3冊もあるの!! こんなに書いてたの!?」
と大喜び&満面の笑みで、担任に強く同意を求めました。

担任は担任で、「あ、それもそうですね」(お陰でとくにお咎めナシでした)。
それは今でも恩に着ています。母は突然知らされてビビったろうに。

 

ふとしたときに、そんなことがシュッと頭をよぎって
「母の味方をせにゃあいかん」と思ったり。

想定外の対応が続いて、こちらがイーーーーッとなったときにも、
遠くでその記憶がユラユラすると、スン……とするわたくしです。

 

あのとき母が幼い私を尊重してくれたように
今の私は老いた母を尊重できているか。

今日も元気。