カメラ介護_認知症母の遠距離介護記録

92歳母(認知症でADHD、片耳ろうからの両難聴、弱視)の、見守りカメラを駆使した遠距離(東京~九州)介護記録。執筆者は1965生の娘(既婚、夫婦二人暮らし)。いろいろあるけど、まあいい! のんきでスミマセン。

認知症母、突然の食事介助モード!?

母部屋の整理整頓は、母がデイに行っている不在の間が勝負です。
母はもともと片付けられない人なので
衣類を、母が見てわかるように整理したいわけです。
季節に合わせて、厳選した一軍だけを出しておく。
でも、厳選して、必要なものが見あたらないのではもっといけません…。

真夏だし、寒がりの母でも、さすがにもう、
パジャマの上(長袖)とか長袖厚手のTシャツとか、着ないよなぁ。
どちらもタンスにしまっちゃおう。
ユニクロダウンはなにかのときに羽織れるように端に出しておくか… などなどなど。
先日母が「靴下が厚いのばっかり」と文句を言っていたので
薄手の夏仕様のものもユニクロと無印で調達し、靴下の引き出しにセットしました。
母好みのうすうす靴下は、ユニクロに軍配。無印は生地がしっかりして私好み。

夕方、デイから帰宅した母、夕食の食卓に着く際に
「寒いから上に着る」とのことで、ダウンをガッツリ着ていました。
母と私のエアコン問題…_| ̄|○ 母に厚着してもらうしか、私の熱中症回避する方法はありません。

就寝する際には「パジャマの上がない」。
もう着ないと思って、しまうためにパジャマの上を洗濯しちゃったので、
代わりに、片付けた厚手の長袖Tシャツをもう一度出して着てもらいました。
「夜寒いと困るからこれなら大丈夫だ…」とベッドに入る母。

まだまだ私の読みは甘かった

92歳。夜のうち、なにがあるかはわからない。もちろん、なにもなくて、いつものような朝が来るかもしれないけれど、おやすみの挨拶くらいはできるだけおだやかに「今日はありがとうございました。また明日ね」が伝えられたらと思います。身近な人と急にお別れすることが続き、余計そう思うようになりました。とはいえ気分は乱高下するし、そんな日ばかりじゃないのは百も承知の理想論です。まあいい。

ところで、夕食はちっとも母の食が進みませんでした。
半分も食べられない。
もともと、トマトの皮など、歯触りのあるものを嫌がりますが
おかずを、しがしがしがしが…ぺっ、してしまいます。

「それは母さんの大好きなアボちゃん(アボカド)ですよ」
と声をかけるものの、聞こえないのと見えないのとで、
お皿をつついているだけになってしまう母。
なんでやねーん、と思って、私がお箸でひょいと母に食べさせたら
パクッといけちゃいました。
それがいいのか、悪いのか、母は全く抵抗ないようで、
そのままパクッパクッと5口くらいはいけたでしょうか。

母への食事介助モードは初めて。
母さん、どうした、どうした…。やっぱり何かがヘンみたい。

食事の満足度を上げるため、食欲はなくてもデザートを勧めて、
ピノをひとつだけ。
「おいしい♥」とここだけは大いに満足してもらえました。ヨカッタ。

 

およそ40年前、20代前半に、ほんのわずかだけ特養でパートを経験させていただいたことがあり、高齢者への食事介助はそれ以来です。当時の緊張感を思い出しましたが、それに比べると、タイミングがわかる母にはずいぶんラクに食べてもらうことができました。