カメラ介護_認知症母の遠距離介護記録

92歳母(認知症でADHD、片耳ろうからの両難聴、弱視)の、見守りカメラを駆使した遠距離(東京~九州)介護記録。執筆者は1965生の娘(既婚、夫婦二人暮らし)。いろいろあるけど、まあいい! のんきでスミマセン。

母のぼんやりが大きくなったのではなく、わたしがテンパっているということもあるかもしれない

デイに出かける木曜日の朝。
6時半、母に起きてもらって、すぐお着替え。
なんとかかんとか着替え終わったのはいいけれど、
顔も洗わずにお化粧を始めてしまう。
「母さんまだ顔を洗っていませんから、まず顔を洗いましょうね」と促すと、
「いーや、とっくに洗っている💢」と母。
こうしたやりとりで、トゲトゲが雪だるま式に増えていき
いつの間にやら なかなか立派なハリネズミになります。

ううむ、今日はぼんやりMAXなのか!?
昨日はいい感じだったのにな…と思ったのですが、
あれ? もしかしてもしかすると、私の主観がフィルターになっているのでは!?
と、ふと思いました。

考えてみればですよ。起床後に顔を洗わなくても、死なないんだから、もういいじゃん。92歳だもの。洗いたいときにはザブザブ洗っているんだし。

時間もお金も潤沢にある中では、
感じる不愉快の数値は少なくなる、みたいな(違

 

たとえば母を放牧(ごめん、母さん!)しているだけの水曜日。
ただぼんやり母を眺めているときは
「今日は元気、よしよし」とニッコリできる私なのかもしれません。

それが、たとえばデイに出かける朝には
「母に出かけるにふさわしい支度をしてもらわなくちゃいけない」と、
私自身がテンパっていて
「どうして意思疎通がこうもできないのか」と嘆きの私になってしまう…のかも。

母のぼんやりには、天気や明るさ、気温などの、環境などの要因も
もちろん関係する可能性も高いですが
そのほかに私都合でも、そのぼんやり感の高低差が生じそうです。
もう少し正確に言えば、私の評価が厳しくなる可能性があるのかも。

「母に○○をしてもらわなければならない」と考えるきわめて現実的な状況下では、
私に余裕がなくなり、
「ただ、母が生きていることを喜ぶ」お花畑とはもはや別次元というか。

制限時間内に行う、
【起床、着替え、靴下、ハンカチ2枚、着帽、洗顔、歯みがき、お供えとお参り、化粧、朝食、服薬、トイレ…】のルーティンから
チョロリチョロリとはみ出てくるイレギュラー案件。

「うわぁー、出しっぱなしの水を止めて」とか、
「お財布はいりませんよ、××に戻しましょう」とか、
「気になるのはわかりました。デイで切ってもらいますから、
(自分で見えない)足指の爪を切ろうとしないで」
とか、とか、とか…。

そういうときの臨機応変な対応力が、私自身がまだまだ弱い。
とくに「いつもできてるのになぜ!?」が射しこみで入ってきちゃう
ことに気づけたのは学びと思っていいですか。

究極なことを言えば、
母に対する私のニーズによって
私が感じる母のぼんやり感に、かなりフィルターかかっているのかもしれません。 


まあ、送り出し、大変でした(爆


そして明後日(次のデイの日)の自分へ申し送り。
もっともっとハードルを下げるのです。
元気で送り出しさえできりゃあ、それでオケーよ。

帰宅の母です。
「疲れたー!!」と言った後で、
「そんなこと言っちゃダメっ! 楽しかったー!」と自身で言い直しておりました。


えらいぜ、母さん。やっぱり幸せになる人だな。