カメラ介護_認知症母の遠距離介護記録

92歳母(認知症でADHD、片耳ろうからの両難聴、弱視)の、見守りカメラを駆使した遠距離(東京~九州)介護記録。執筆者は1965生の娘(既婚、夫婦二人暮らし)。いろいろあるけど、まあいい! のんきでスミマセン。

夫の食事をつくるのをやめまして

前日月曜朝には待ちぼうけしてしまった母。
火曜日は朝から嬉々としてデイに出かけて行きました。

ゴキゲンに帰宅して、
「今の私の健康があるのはデイのおかげ」と言いました。
すごい。ちゃんとわかってる!?

ところでまたまた別件、東京自宅でのことです。
実は、夫(肺がんサバイバー)に食事をつくるのをやめて1カ月が経ちます。

「私が、夫のからだにいいものを作らなきゃ」を手放しました。
私はもう作らない。
それで肺がんが悪くなるならしょうがない。それまでだ。
体重増量のことももう気にしないことにします。管轄外。

 

実は、8月の、夫の内視鏡検査の後、普通食に戻った翌日に
夫がまた食事中に嘔吐いてしまいました。

当時、夫は食欲がなかった(と私には言わなかった。朝から夕方まで眠り、目覚めてフキゲンにしていた)。
私の出すものが口に合わなかった、もしくは気分に合わなかった。
けれども、私の手前、頑張って食べようとしたら、この有様。

つまり、少食の夫は、私の食事を食べようとして無理をして
餌付いちゃっていたらしい。

と、そこで初めて私が気づきました。
「もしかして、6月の食事中のケポォも、そうなの!?」
「そう」と言うじゃありませんか! シャレならんわー。

ケポォの原因は、妻!でした。ぎゃふん。

【肺がんの悪化か、嚥下障害かと青ざめた夏の日…まさか私が原因だったとは】

 

【その後大人しく検査を受けていた夫。なぜ、言わなかったの? 言えなかったのか】

 

夫、恐妻家。
きっと私の「食べなさいよ」圧が強かったんだろうなぁ。
少し、申し訳ない気もしないでもない。
大人なんだから、言葉でちゃんと言ってよ、とも思う。
後の祭りです。まあいい。

それから数日後、
もう料理つくるのやめます宣言しました。


たぶんこれが最後に作った冷やし中華だな。8月末のこと。もう大昔のことみたいです。これからも自分には、食べたい時にちゃんと作ろうと思います。

もともと料理するのが好きでも得意でもないし、
在宅フルワークしながらのおさんどんはヘビーだったし、
私の場合は、遅かれ早かれやめるものだと思っていたし、
子どもがいるわけでもないんだし
いいや、やめちゃえ。
圧をかけられるよりも、そのほうがいいっしょ!

 

というわけで荒野を突き進む毎日。
1カ月が経過し、わりと楽しんでおります。

 

食事作りをラフにやめることができるのは、うちの特殊な家庭事情も大きいです。結婚25年目。そのうちの15年間は、夫婦で家で食事をすることが、月に一度あるかないかでやってきました。生活も完全すれ違い。私の帰宅は深夜のことも多く、家で食事をすること自体がまれだったのです。リーマンショック以降は、終電で帰宅するようになりました。コロナ禍では在宅に切り替えました。それでも人様よりは全然少ない。
「よそはよそ、うちはうち」でやってきたので、「べき」みたいなものは私のなかに希薄で、もともとが超適当。なので手放すハードルがめちゃくちゃ低いと思われます。
正直、もともと「べき」のない人生というか、「べき」から全力疾走で逃げる人生かもしれません。
まあいい。

飽きて余裕が出たら、そのうちつくることもあるかもしれない。でも、断筆宣言みたいでチョットラクです。