もともと母は信心深い人ですが
信仰が篤いかというとそうでもないように思います。
というのも、かなり自己流のお参りの仕方をするからです。
仏教徒で、浄土真宗のお西さんの門徒ですが、
母はおそらく西か東かも知らないし、
なんなら神社とお寺さんの参拝の所作の違いさえ、
よくはわかっていないところがあります。
日々のお参りだってかなりの自己流です。
見かねた私が、実家に小さな神棚を購入したのが5年前くらい。
母がいつも手を合わせている場所に、
その小さな神棚を置くと、母はことのほか喜びました。
最近の母は、お参りしたそばから忘れるので
夜、いつまで経ってもお参りが終わらないこともあれば、
お参りすること自体を忘れていたりと、まちまちです。
それでも信心深いと感じるのは、
母が手を合わせる時間が、
年を経るごとに長くなるように思うからです。そして、
なにかというと「ありがたい」「おかげさま」と手を合わせています。
神仏に祈るというよりも
もはや宇宙に感謝しているように私には思えます。
この先もしも母の認知症が進んで、
娘の顔すらよくわからなくなったとしても
母は最後まで、自分が愛に包まれていることを、
感じ続けられる人なんじゃないかと、ふと思いました。
それって最高じゃないかしら。
ここ数年は、朝晩雨戸を開け閉めするときにも、母は拝むようになりました。その姿を、きれいだなと思って眺めています。