「どんなにケンカしても、決して言ってはいけない言葉がある。言うな」
幼い頃から折あるごとに父(故人)に言われていたことです。
「だから父さんは、母さんとどんなに夫婦ゲンカしても『出て行け』とは決して言わない。
母さんは、ここ以外に行く場所は本当にないんだから、それは言っちゃダメなんだ」
そんな話を母の前でもするので
「その話は、母さんの前で言わないほうがいいのでは?」と幼ごころに思っていました。
両親どちらとも、生い立ちが複雑で、実家がありません。
だから「家族」へのこだわりが人一倍強い。そんな中で私は育ててもらいました。
父が言いたかったのは、
相手がいちばん傷つく言葉は決して言ったらダメ、
ということだと解釈しています。
口げんかのときはこれにプラスして、
トドメを刺すな、
相手には退路を残せ、
も大事じゃないかな。
でも、帰京日の朝、母に対して私は「認知症がひどくなっている」と言ってしまいました。
【前日の記事です】
気の強い母のこと、そのように言えばイラッとして奮起して
行動をあらためてくれやしないだろうかと、ちょっと思ったのです。
私の認識が甘すぎました。まだ夢を見ていたかったのか?
もう母は、ガッツリ認知障害の森に足を踏み入れていて、
奮起してあらためられるようなところにはいない。
今回のことで、自分の認識を新たにできました。
「親に向かって子どもがなんてことを言うの💢
認知症だなんてとんでもないことを言う。バカにするのもほどほどにしなさい。
だいたい認知症で、民生委員をできるわけがないでしょう!」と、母は激怒。
「だから母さん、よく思い出してみてください。
母さんが民生委員だったのはもう7年も前の話ですから!」
とまあ、派手にトドメを刺してしまいました。
母はトドメを刺されたこともすぐに忘れてしまうでしょう。
でも、イーッ!!!💢となった瞬間、その場で自分の手帳に
「フクに認知症と言われた!💢」と書き付けているのが見えました。
今はもう、肌身離さず持ち歩く手帳だけが母の記憶の頼りです。
それも日付を間違えて書いたり、願望とやったことを混在して書いたり、
数字を正しくかけなかったり、
記載された内容から事実を読み取ることが難しくなってきました。
でもまだ書けるし! そこは次回うんと讃えようと思います。
幸いなことに、まだもう少し時間があります。
こちらの元気が回復したら、リトライです、挽回です。
人生のフィナーレは楽しくないと!
認知症の人を悲しませるのは
ほぼ100%こちらが悪いということになってしまいます。
たとえこちらが正しくても、弱い者いじめの構図だし、
幼い子ども相手にケンカするのと一緒だし。
母が私を言い負かせることなんて300%ありません。
なのに、私の中の子どもの私が、「母さん」に異論を訴えてしまいます。
「母さん、どうして!?」
もちろん不毛です。
私がここから脱出するには、自分が成長するしかありません。
うまくやるにはもう少し時間がかかりそう。
でも絶対にクリアしようと思います。だってせっかくの人生ですもの。
そういえば父は、私が小学生高学年の頃、母娘でケンカしているときに
私が母を泣かせると、有無をいわず私を叱りました。
「どんなにフクが正しかったとしても
母さんを泣かしたら問答無用でフクが悪い」
と言っていたのを思い出します。
まるで未来が見えていたみたいだなぁ。
母さんを泣かしたら問答無用で私が悪い。
すみません!!
言ってはいけない言葉といえば、思春期に「産んでくれと頼んだ覚えはないわーッ」と言ってしまい、母に大泣きされたことがあります。言ってはいけないことだったと反省しました。ということは、まあ、しょっちゅう言ってるってことかw。不出来な娘で申し訳ありません。
でもちゃんとひと月で立て直して出直しますからね。
変わるもの、変わらないもの、変わるもの、変わらないもの。