5年ほど前になるでしょうか。母が電話で突然
「お寺に預けている父の遺骨が入れ違っている」と言い出したことがありました。
ひそひそ声で、
「骨覆いの色が変わったわ。違うのよ! あのお骨はお父さんじゃない!」
「知らない人のお骨だから気持ち悪い。私は行かない」
声のトーンというかモードから、言外に「私だけが知っていることなのよ」的な
ニュアンスが漂ってきます。
父のお骨は、菩提寺の納骨堂に納められています。
母が元気な頃は、私は1年に一度程度の帰省で
その折りにほぼ毎回、父の墓前にお参りしていました。
だれも墓前に行かないのも、父が寂しかろうと思っていたのです。
というのも母はまったく納骨堂にお参りに行く気配がありません。
面倒なのかイヤなのか、
「うちでしっかりお参りしているから、お寺に行く必要はない」が口癖で。
人それぞれの習慣、気質もあるし、仕方のないこと。
それはそれだと思っていました。
さらに母も、私がお参りことで安心するだろうと思い(ここが私の大きな間違いでした!)
「お参りしてきたよ」と報告していたのでした。
私が少し不思議に思ったのは、母はもともと父の墓前にはほぼ行かないのに
どうしてお骨が「入れ違った」ことがわかったんだろう、ということ。
意外なところで、その「心」に気づくことになりました。
きょうだいが「母さんはアナタに嫉妬しているようだ」と思いがけないことを言うのです。
きょうだいによると、母が、ある日お世話になっているお寺のご住職にまちで会い
「遠方の娘さんはお参りに来るのに、すぐ近くのあなたは全くお参りに来ない」
と言われたようでした。ご住職~~~、あかんやん~~!!!!!
腹を立てた母は、とにかく私に二度とお参りさせたくなかった。
それで「遺骨入れ違い説」を私に説き、
どうだ気色悪いだろう。これならフクも行かないだろうと想定していたようです。
「ところが、まさかそれでアナタがケロッとしてお参り続けるとは
母さんは夢にも思わず、作戦失敗で気落ちしたはずよ」と、きょうだい。
はじめは信じられませんでした。いや、驚いた。
以来、二度と、母の前で、父のお墓参りに行った話をするのはやめました。
近年、月に一、二度とたびたび帰省するようになって
年の暮れやお彼岸お盆など、折々にさりげなく
「お父さんのお参り行きましょうよ」と誘うと、「そうねえ」と
嬉しそうに母も一緒にお寺にお参りに行くようになりました。
もはや
「ニセモノ、別の人のお骨よ、気持ち悪い」とは二度と言わなくなりました。
都合悪いときのヘンテコ虚言。
ADHDぽいなと思うのですが、どうでしょう。