認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

大切な人、もの、ことは、比べてはいけないなぁ

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中2のときの美術の先生も強烈で、最初の授業のときに
「私の授業では、成績の相対評価をしません。すべては絶対評価です」
とおっしゃいました。
絶対評価」と「相対評価、そのときに初めて知りました。


その人自身がどれほど成長したかを見るのが絶対評価
かたい言葉では「目標達成度」で評価されることが多いです。
対して相対評価は、学校の成績のほとんどはこれで行われます。
他者との比較、集団内での比較で評価することで、偏差値も相対評価の表現のひとつです。


絶対評価!? はああああ??」とは思いましたが
多感な時期にしっかりと絶対評価を感性に取り込むことができたのは
その後の人生でたいへん役に立ちました。今も思い出しますから。


私たちは教育を受ける際に、自分の意思とは裏腹に
散々相対評価にさらされ続けるので
ごく自然に、クセがついちゃうんじゃないでしょうか。
相対評価をするクセ、されるクセ。時には無意識のうちに。
と、ふと思うことがあります。


でも、あれもこれもそれも、身の回りの大切な人、もの、ことは、
なにかと比較してはいけないな。
結果がよくも悪くも、ほかと比べて評価することが不幸の始まりというか。


とはいえ、世界を認識するためにより広い視野を持つことは大切で
たまにはそのなかで自分の立ち位置やら状況やらを捉えてみるのも大事です。
捉えるのは大事だし、
問題に応じて手を上げて助けを呼ぶのはすごく重要ですが、
その問題や手を上げる行動に対して、ジャッジする必要はまったくありません。

ましてや、よそと比較しての、善し悪し、幸不幸、出来不出来の判断など
百害あって一利なしではないか!?


というか、自分の仕事を増やすな。

…そこまできててようやく
「母を見るときには、母と関わる自分の状況を捉えるときには
できるだけ絶対評価でいよう。周りと比べるまい。
つい比べてしまいがちだけど」とたどり着きますが


……そう気がつくときはたいてい、

グチグチモードで、ずっパマっているときです(大汗


ところで。
相対評価はヤダと感じるのは、
私自身が、子として、娘として、妻として、さまざまな局面で
誰かと比較されたくないと思ってきたせいでしょう。
ただ無条件に愛されたかっただけ。
いや、無条件に愛されたい。現在形


ということは、母もやっぱり、無条件に愛されたい、だな。現在形で。

心得ました。

その後、中2の美術の成績は、信じられないことに五段階評価の「5」をいただきました。図画工作や美術で「5」いただくなんて、初めてだったので驚きました。子ども心に、「よくわかんないけど、絶対評価ってなんかすごいな」と思ってしまいました。そのあと転校して、成績の絶対評価とお別れしたのは残念です。