どこから見ても母がばあちゃんということはわかっているのです。
認知症も炸裂していることですし。
なのになぜでしょう。
タクシーの運転士さんとか、お店の方とか、
ひょんなことで「おばあちゃん」と呼びかけられたときに
モヤっとしてしまうのです。
小さいフクは
「おばあちゃんじゃないもん💢」
叫んでいます。
繰り返しますが
冷静に見て、ばあちゃんなのはわかっています。
私が子がおらず、相対的に時間を捉えられないせいかもしれない。
ふと、子どもの頃、
「お前のかあちゃん、でべそ」
と言われたときに感じた、悲しくてたまらない気持ち。
「言われてこんなに悲しいなら、私は絶対人に言わないぞ」
あの気持ちを思い出します。
「おばあちゃん」に悪意はないのに
小さいフクは悲しい気持ちになるわけです。
「おばあちゃん」へのリスペクトを感じられないせいなのかしら。
いやいや、どっからみてもおばあちゃんなので
私の軸が少しおかしいことも理解しています。
愛着をもって「おばあちゃん」と呼んでくださる方もいらっしゃるので
私が追いつかなきゃいけないのかな。
1枚目)朝の母は、深刻な顔で「眼科に行かなくちゃ。目がかすむ」と言いました。オケー。何度でも一から説明しますぜ、母さん。お薬見てちょっと安心。2枚目)夜はいつものお調子者。
対峙する母は、母以外のなにものでもなく
少なくとも、リトル・フクにはばあちゃんみは皆無です。
私のバランスが悪いのかもしれないけれども。
まあいい。