朝から、「用意したおみやげはちゃんと持ちましたか?」と電話。
この日は、母が楽しみにしていた、お友達同士4人で集うランチの日。
上手におつきあいできるかどうかが、ふんわり不安な娘です。
先日帰省時に、バス停でばったり出会った母のお友達が
母に対してごくふつうに
「ねえ、◎◎の開催は何日だっけ?」と話しかけてきたのを目の当たりにして
そんなこと、母がわかるわけがないのに…と思い、そばでひとり引きつっていました。
母は、かなり適当な対応でのらりくらり。
結局「じゃあ、あとで調べて電話するわね」と交わして、お見事。
“わかるわけがない”は、お友達にはバレませんでした。
私には絶妙な綱渡りに見えますが、本人はそうでもなさそうです。
「電話するわね」は次の瞬間には忘れるのがデフォルトなので、私が帰宅後、
「母さん、××さんに、◎◎の開催が何日なのかを手帳で調べて電話して」と伝えます。
心配性の私は、内心
みんなで会って「あれ、あの人なんかおかしくない?」みたいになるんじゃないかとヒヤヒヤしています。
トラブルになってから悩めば十分なのに、
なんとか母が傷つかずにすむ術を見つけて回避したい。
ちょっと過保護なのかもしれません。
今回はとくに、早い時期から母が
「いつもランチは1000円とか2000円なのに、今回はどうして1万円なんだろう」
と少し不穏だったので、私もハラハラ度合いが増しました。
ふつうの高齢ご婦人たちがランチで、1名1万円って、ちょっとおかしな金額です。
いったいどれほどの量の食事になるかも気がかりで、
「母さんはすい臓の持病があるんですから(母はこれを忘れます)
満腹まで食べたらだめです。体のために、お食事を残す勇気を持ってください」
と釘を刺していたことでした。
夕方恐る恐る電話すると、母は絶好調。
とても楽しく、お食事は非常においしかったそうで、
「このエコバッグいただいた」「このポーチもいただいた」
「違う方からは手作りの茶瓶敷きいただいた」といただいたおみやげを
次々にecho showの前で見せてくれます。
おかげで母の顔はずっとフレームアウトしていました。
しかも、1名1万円ではなく、4名で1万円の勘違いだったそうです。
よかった…。
「今日は補聴器つけていかなかったの?」と尋ねると
「うん、もうつけないよ。いいじゃない。それでふつうに暮らしているんだもの」と母。
う、うん。本人が不自由ないというならそれでいいよね。
私も覚悟を決めなくちゃ。
たまに電話の呼び出し音が聞こえなくても、
周りは困っても本人は困らないだろうからなぁ。周りの皆様ごめんなさい。
echo showを導入してから、TVの音や、台所から音がして
母が近くにいる気配はあるのに、電話の呼び出し音はガン無視という状況に
よく出くわすようになりました。
それでも、呼び出しに気づいたらゴキゲンさんで出るので、
それでいいかと思うようになりました。
本人の快適最優先にして、
一般論に母を合わせようとするのは自重します。
もともとがクセツヨさんなんですから。
「人生残り短いんだから、楽しまないと」と母は今日もキッパリと言い
それについて私はまったく異存はありません。
私の「かくあるべき」「ねばならない」「ほうがいい」を押しつけないように、
できるだけスマートに見守りたいと、あらためて思うのでした。
私も少し強くなろう。まあ、もともと結構したたかですけど(汗 。