認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

今後の高齢母介護の青写真

状況が変わるたびにどんどん気持ちも変わり、
すっかり気持ちが変わった頃には
以前抱いていた気持ちなんて思い出せないかもしれません。
古いことは思い出せん。自分が変わっているんだから。
だからちょっと残しておこうと思います。今の気持ち。

この先、母の状況が推移していったとき、
私はどこに暮らすかなぁと考えることがあります。
母に実家から移動してもらうことはあまり考えていなくて
自分が移動することで対応したいと考えています。
その時どうなのかわかりません。
あくまでできれば、たらればの話です。
目標は、母が「死ぬまでずっとおうちで快適に」です。
そのためにはまず、母に健康&元気でいてもらうことが欠かせません。


義母の生前は、
義母を呼び寄せて東京で同居する算段でした。
呼び寄せられるかどうかは、
親の性格と互いの相性によると思いますw。
義母と同居予定の二世帯住宅借家に、我々夫婦が先に引っ越して、祖母を待っていました。
義母もノリノリでしたが、引っ越し直前のトラブルで来ることができなくなり、残念でした。
人生なにがあるかはわかりません。


今、母がいちばん望んでいる暮らし方は
母がいる自宅(私の実家)でひとりで暮らすことです。
「ここに娘が一緒に暮らしていれば…」とは、ほぼ思っていない様子です。
これから母も変わるのかもしれませんが、今のところ、
母の理想はあくまで、自分の家での気ままな一人暮らしです。
体が今よりも不自由になれば
「娘、ここにいろ」と思うのかもしれませんが。
今はまだ、
娘がいることによる「心の不自由さ」のほうを不快に感じるようです(たぶん)。
そんな母の気分も揺れるし、波があるなと感じています。


母自身が、私や兄の住むまちに移動して同居、または近所に住まうのは、
まっぴらごめんだと考えています。
私が十代の頃、母が私に病的に執着して大変だった時期もあるので、
人は変わるもんだなぁと思います。
【過去記事です。もはや別人のように感じられる母。あのとき家を出てよかったわー】

母が、住む土地を離れることを嫌うのは、
あれだけ夫(私の父)の転勤で転居を繰り返したというのに
母は移動に苦手意識を強く持っているのがひとつ。
※私は生まれながらの引っ越し人生だったために、定住への恐怖感があります。家移りは楽でいいぞー。
もうひとつは、呼ばれて都会の子ども夫婦に所に身を寄せたはいいけど、
うまくいかなかった友達を何人か見ており、
「知らない土地で同居してもうまくいくわけがない」
という刷り込みが強いからです。


7月に民生委員さんと話した折に教えていただいたこと。
母は民生委員さんに、
「私はぜったいにこの家にいたいの。
もしも娘のところに行ったら、
私、1カ月であの世に逝くと思う。絶対よ!」

と言ったのだそうですw。
_| ̄|○
いや、母さん、
私は一度も呼んでいませんからw。

義母は呼べても、母は呼べない、決して。
これは親の性格と互いの相性の問題です(前述)。

 

私自身はというと、
しばらくはこの立ち位置をキープしたいですが、
今後はさらに明確に、
仕事のスタイルを地方中心でもやりやすいようにハンドリングしたいと考えています。
今とは逆で、実家をベースにして、
東京通いとなってもふつうに働けるように。
夫は東京から離れられないので、東京の拠点にできてちょうどよいかもしれません。


私自身は
自分の体がどの土地にあろうとさほど憂える問題ではなく、
状況の変化はむしろ楽しみだし、…あ、語弊がありますね。
いのちがあるということは、変化することだと思うと、
その変化を味わいつくすのはただただ楽しみな感じがするのです。
四季の移ろいを慈しむのと同じ。

私は暑さが苦手ですが、夏を憎むわけでは決してありません。
とはいえ、そのときになったら
「暑いのいやだ、うぇー」なんて言っているのかもしれませんけど。
まあ、その時、その時の状況に応じて、淡々と対処していこうと思います。

結婚した当初、私の住まい(当時は大阪)に母が二泊三日で遊びに来たことが一度だけあります。当時の悪印象が強すぎて、母を我が家に迎えるのは二度とごめんだとかたく思っています。ここで「変化は楽しい、うぇーい!」と思えないのは、私にトラウマ的な縛られがあるんでしょうね(汗。
親なのに。親だから。
HSP、母ADHD。我が家に迎えた母の感じは、怪獣が家に入ってきたような感じでした。どんどん勝手に動き回り、じっとしていてほしいのに、いっときもじっとはしてもらえなくて、とにかくつらかったのです。自分の大切な空間が壊されていくようで…。

そう、ちょうど、朝ドラ『ちむどんどん』で、重子さんの客間にニーニーが押しかけて入ってきたシーン(オルゴールを壊す!!)が、まさに私の記憶の印象と重なって、視聴していてすっかり悲しく、体の具合が悪くなりました。

母にはそれ以降は、たとえ口先だけでも「遊びにおいで」は言いません。とにかく、元気な母を迎えるのは、結構無理しないとできない。そこは無理せず、自分を尊重してあげたいと思っています。私のごきげんが、ひいては母にもよいようになると信じたいです。
まあ、もう少し時間を重ねると、私の感覚も変わるかもしれませんしね。