中学生のときの、インパクトのあった担任に、当時
「一喜一憂はいけない」と教えられたのが
40年経った今もずっと胸に残っています。
「なぜ」そうおっしゃったのかは忘れましたが、その言葉だけを思い出します。
覚えているのは、そのとき強烈に違和感を感じたせいです。
一喜一憂。
いけなかなかろ。人間らしくてよいものだ、と思うこともあれば、
少なくとも憂いを表に出すのはやめようと思うこともあるし、
喜びを見つけたなら大げさに喜ぶ人でありたいと思うこともあります。
憂いの部分はあまり出したくないです。これについては長くなるのでまたいずれ。
ただ、心の中に小さな泡のように浮き上がる一喜一憂を、
つけっぱなしのTV画面みたいに眺めているのはすごく面白い。
きっと一日中見ていても飽きません。自分事ですしね。
こんなふうに、40年間のテーゼにもなるということは
私にとっては抜群におもしろい問いかけだったといえそうです。
こと母の介護についていえば
一喜一憂はせず、どーん、ぼーん、と、おおらかに見守りが理想です。
母は、元気に明るく過ごす日もあれば
今がいつかもわからなくなって、こんがらがる日もあります。
なかには、おだやかだとはとても言いがたい日もあります。
母に起きた出来事、母が起こす出来事をキャッチするのは大事ですが、
こちらの感情をリンクする必要はありません。
日日是好日で最高じゃん、みたいな。
まあ…テンパってることも多いですけど。
それでも、やはり。
母ができたこと、うれしいことは盛大に讃えたい。喜びたい。
私も褒めて伸びるタイプだし、褒められたいから、母も同じかな、と
そこはオーバーリアクションでいきたいと思います。