高齢ADHD母の遠距離介護記録

89歳独居の母は要介護1。高齢者のADHDと。東京~九州で、遠距離介護しています。私1965生。介護しながら母娘関係をおさらい、修復しています。

「不可抗力」という呪い 選択する自覚

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以前の記事で、中学時代の担任に言われた、忘れられない言葉
「一喜一憂はよくない」に触れました。

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その後、高校1年生の時、所属していたクラブの部長さん(当時3年生)に言われた言葉も
とてもよく覚えています。
その後の私の人生をかえた言葉でもありました。

高校に入学後、成績がだだ下がり、
当時所属していた「クラブをやめろ」と担任や親に迫られて
「というわけでやめなきゃならない」と当時の部長さんに伝えました。
そのクラブ活動、自分では大好きだったんですけど。

そこで部長さんに言われた言葉。
「それはキミの選択なのか? 誰かに言われてやめるとしても、最後の決断はキミ自身だ。それをはぐらかして、人のせい、周りのせいにしてはいけない。
いつ、どんなときも、キミの選択はキミの責任だよ?」
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文字通り、目からうろこが落ちて、新しい世界を見た気がしました。
それからの人生の宝となった言葉でした。今も。

本当は、言われてしばらくはよくわからなかった。
「え?不可抗力じゃん!」と思っていました。
けれどその夜、「不可抗力」という思い込み、自分の甘えに気がつくことができたのです。


もちろん、生死に関わることでは、自分はまったく選択できないこともあります。
歩いているところに車が飛び込んできたり、上から想定外の何かが降ってきたり。
老死はもちろん、時間を止めることもできません(時間があるのかどうかは疑わしいとしても)。

けれど幸いにも、多くのことは自分で選択できる、選択しなければならないことです。
なにかを決める、選ぶとき、その選択は最終的には
自分の意思であることを自覚しておきたいと思います。
選べないと思うことすら、選択であること、
そのときの選択を、人のせい、周りのせいにはしない。
その意識は、その後の自分のちょっとした力になるように感じています。


実家に介護帰省したときに、
残念ながら、母に対してムキーーッとなることもしょっちゅうです。
もちろん、ここから離れる選択もできる。踵を返して東京に戻ってもいい。
いざケツをまくるとなれば(失礼)、大人ですから、
徹頭徹尾ケツをまくるに徹することもできる。
それをするのかしないのか、
子だから、義務だから、ねばならない、は、ほぼ幻想…呪い?だと思っています。
自分が駄目になる前に逃げたらいい。
いや、本当に駄目になるくらいなら逃げなくちゃ。


人生は小さな選択の連続で、ありがたいことに、
わりと多くのことは「あっ、まちがっちゃったー!」でやりなおすこともできます。
これまた、やり直せないという呪いを自分で解く必要があるのかもしれないし、
ふてぶてしさもいるのかもしれませんが。
自分の人生ですから。
今、自分の肉体があって、いのちがあるんですもの、
「なんだって楽しまなきゃソンじゃんねー!」(『いだてん』のまーちゃん風に)

こうした娘を
母にはしょっちゅう「フクみたいに楽観的にはとても生きられない」と、
醒めた目で見られていますが。
母さん、そうかい? 人生ってすごく楽しいんだぞ、手放しで楽しんでていいんだぞ。


そのクラブを辞めるかどうかの話、おかげでそのときは続けることを選びました。
「選択」を意識して自分の意思を掲げたとき、結果的に大人たちに反旗を翻すことに。
まあ、あたりまえですわな。
これをきっかけに半年後、平和的な家出をキメ、下宿生活スタート。
親は四国、私は関西で、離れて暮らすことになりました。

15歳。あれが私の独立記念日だったのかもしれません。
40年経って、介護帰省でうちに寄りつくようになりました。人生よいバランスだな。

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あのときの18歳の少年の言葉に、55歳おばさんは今も背中を押してもらってますよ。
部長さん、言葉の花束を、どうもありがとう。