今クールのドラマは『ブラッシュアップライフ』と
『6秒間の軌跡』、そして朝ドラ『舞いあがれ!』を気に入って視聴しています。
『ブラッシュアップライフ』の「人生何周目?」。
以前似たようなことを考えていたので、はじめ笑いが止まりませんでした。
最初は中学に入学してクラブ活動を決めるとき。
本当は吹奏楽部に入りたかったのに、
我が家の財政的には、楽器購入など夢のまた夢と思われました。
そのときに「吹奏楽は次の人生でやろう。今回はやめておく」と
明確に思って、財政面で懸念のない卓球部を選びました。
成人後、職場でもよく、「今期で人間何回目か」が話にのぼりました。
根拠もなんにもないし、甚だ失礼な話でもありますが、
何か、腹に据えかねるようなことがあったときも、
「あー、この人、人間初めてだからしょうがないな」
と思うことで溜飲を下げられるのです(←めっちゃ失礼。まあいい)。
私が比較的、のんびりした性格で、ほぼほぼ激さないのは、
自分で、「人間5回目とか6回のつもりでいるせいでは?」と思っていました。
繰り返しますが、根拠などまったくなく、ただぼんやりと、
5回か6回くらいは人間を続けてきているような感覚はあって。
ただしドラマのあーちんやマリリンみたいに、前世の覚えがあるわけでなく、
たまに退行催眠をしてもらって
旅行気分で前世ビジュアルを楽しむ程度です。
過ごしている時代も国も全然違うし、
実は人間じゃないときだってありました。得体の知れない水生生物。というか、龍。
※退行催眠で楽しんだイメージです。本当かどうかは謎です。
人は人を繰り返すと聞いたこともありますけど(ムラサキウニやシロアリに転生の線はない)
本当はどうなんだろうな。
そういえば現在の母と、母娘のペアな前世もありました(日本で、私は娘です)。
そのときは親子げんかした拍子に、事故で母が亡くなり、なかなかつらいイメージでした。
20年前に結婚した当初、夫に対してもよく
「この人、人間初めてだからしょうがないな」と思いました。
夫、ちょっとピノキオぽかったし。
本人にそれを言うと
「だよねー。人間初めてで慣れてないからごめんね❤」
と素直で、ふつうに納得していました。
しかし共通の知人であり、夫の仲良しの友人にそれを話したところ
「フクちゃんは夫ちゃんを見下すな💢」とめっちゃ叱られまして。
いや、見下すつもりは一切ないし、ただ人間に不慣れかどうかだけの問題で
いのちに貴賤はないんだけどな。
でも友人は不快だったわけで、不本意ながら謝って、以来この話題を封印するようになりました。
夫自身は、前世のいつかで、
クジラみたいな水生生物だったようなイメージがあるそうです。
海中の映像を見ると泣けるほど懐かしいときがあるそうで。
ピノキオで海を泳いでいたのかもよ!?
そういうことも含めて、いのちの意味、人が生まれてくる意味、人のいのちの仕事みたいなものをつらつらと考え続けてしまうわけですが、5年くらい前にひとつ到達しまして。
人は、空気を振動させるために、生まれてくるのではないか。
呼吸ひとつでも空気は揺れます。自分自身も変化しながら地球の変化を手伝うことが、とても大切なことなのではないか。その振動、揺れが、いのちの意味かもしれないな、なあんて。
そうしたいのちの意味の前には、事をなすもなさぬもどうでもよく(いえ、なす人はすごいし素晴らしい。でも次元の違う話です)、全ての人はいるだけで大事な意味があるし、本当にそれだけで全然いいんじゃないかと考えています。わたしたちはかけがえのないいのちを経験すればそれで十分なはず。これは間違いない。
母には時々、「次も一緒にやりましょうね」という話をします。
そのためにも今期のつまずき、課題はちゃんとクリアしておきたいなあ。
現実に戻って、水曜日の、日課の夕方Alexa呼びかけです。
トークの最中に実家側で「ピンポーン」が鳴って
母に出てもらったら、ヨドバシからの荷物でした。
しもたーッ、間違えました!!!
遠距離介護あるある。
東京用のものなのに、誤って実家に送付してしまいました…
_| ̄|○
荷物を頭上に載せて、突っ込まれるのを待つ母、おきゃん。会心の軍手を発見して1足だけ購入したものでした。家のは実家で使うことにして、東京用に再度購入かしら。シンプルな綿100軍手の1足売り、わりと貴重なんです。…まあいい。