2016年のことです。
鍼灸院で、「感情は体に現れる」という話を伺っていた折のこと。
「ちょっと右手にギュッと力を入れてこぶしを作り、強く握り締めてみてください」と先生に言われ、
その場にいた3人で言われたとおりにしてみました。
そのままの状態で1分、いや3分くらい経ったでしょうか。
先生に「はい、開いて」と言われて握った手を開こうとしたら、
3人いるうちの私だけ、
こぶしが握ったままで、ウンともスンとも動かなくなってしまいました。
自分は「開け」と命令しているのに、意志に反して全く開かない。
そんな経験は初めてだし、何が起きているのか不安で頭が真っ白になりました。
私も焦りましたが見ている皆さんも「何事!?」とびっくり。
ただ、鍼灸院の先生だけは平然と、
「ここまで強い怒りを抱えていらっしゃるとは驚きです」と半ば呆れていらっしゃいました。
一緒にいたほかのおふたりは、「はい、開けて」と言われてすぐに、
ふわっと手が開いたのです。
ごく普通に。
私だけが、ギプスで固めたみたいにこぶしが固まっちゃいました。
手が私のものでないみたいになってしまい、
開きたくとも、私の脳の命令では全く開かないのです。
自分の左手で1本ずつ開こうとしてもダメ。
ほかのおふたり(男性)が両手で、私の指を1本ずつこじ開けようとしましたが、
それでも開かない。
というか、そんな力が自分のどこにあるんだよ!?
握った右手の中から大量の汗が流れ出てきます。
見ていてすっかり悲しくなってしまいました。
開かない握りこぶしの正体は、強い怒り💢なんだそうです。
怒りで人を殴るときのこぶしであったり、
グッと我慢してにぎりしめるこぶしであったり。
こぶしを握りしめるのは「怒り」の動作なのだそうです。
強い「怒り」が心の奥底にあると、
こうした体の反応(こぶしを開けない)として現れるのだと先生が説明してくださいました。
それまでも、自分の底のほうに、悲しみとおそれが強くある認識は持っていました。
しかしむしろ悲しみは仮面だったのです。
仮面を取り去り、さらに深掘りすると、正体が「怒り」でした。
「怒り」と認識したことがなかったので、とても驚きました。
心外でもありました。
「強い『怒り』がある」と言われて初めて、
自分の開かない手を見て、「怒り」の存在に気がついたのです。。
そして、
自分の内側の深いところに、
顔を真っ赤にして怒っている3歳の子どもがいることに気がついたのです。
ものすごく怒って泣いていました。
なのに大人の私は、他者に対しても自分に対しても、
「怒り」を察知するとすっと逃げるようなところがありました。
「怒り」は、私にとってはエゴイスティックで、理不尽で、
非常に苦手な感情でした。できればまじわりたくないと思っていました。
たぶん、遠いどこかで、自分に「怒り」があることを、
本当は知っていたからこそ目をそらしていたのじゃないかな。
自分が巨大な怒りの塊みたいになるのがこわくて。
これが
ずーーーーーーーーーーーーーっと長い間押し殺してきた私の中の「怒り」が
日の目を見た瞬間でした。
長い間、小さい子に悪いことをしてたなぁ。
本当は、あれにもこれにもそれにも、カチンカチンに怒っていたのです。
「怒り」を押し殺していたこと、
強い「怒り」があることを自分で認められた瞬間に、
心がどんどんやわらかくなっていったように思います。
ありがたい。あれがなければ、自分の中の「怒り」に
下手すると一生気付かなかったかもしれません。
その握りこぶしは
「放っておいたら忘れた頃に開くから大丈夫」と先生に言われて
ふつうにお話が始まりました。
30分ほどしてようやく開いたてのひらは、水たまりができるほどの手汗…。
とても愛おしいと感じました。
おのころ心平さんの『病気は才能』は、体に溜まった感情が、病気を作っていく話がわかりやすく書いてあり、おすすめです。病気は、潜在意識からのメッセージとして読み取るというものです。出版からもう10年以上になります。※今日のブログの話は、おのころ心平さんとは一切関係ございません。