眼科で処方された角膜保護の軟膏を眼に塗って寝ると
痛みなしに朝まで眠ることができました。
日中はCLをつけないことに挑戦し(言われたわけではありませんが、メガネも必要最低限に)、
感覚だけ、泣きはらした目で(しつこいですが、感覚だけです)過ごしています。
若い頃は少し見えにくいくらいを
「繊細なデザインだ」と勘違いしていました。
印刷に使う黒の文字の色も、
BL(黒)100%ではなく、BL60や70を好んで使う、みたいな。
年配の先輩方が「見えない」「大きく」と言うのをちょっとウザく感じて
「小さくてカッコいいじゃん!」と思っていた若い私は横柄でした、ごめんなさい。
「若い人向けの媒体は可読性が悪くても構わない」というのも多分間違っていて、
年齢にかかわらず、視力の弱い人でも見えやすいということはとても大事なことだと
今はしみじみ思います。
あの頃、私は未熟で、配慮が全く足りませんでした。
今なら、デザインひとつで排他的になることをよしとは決して思いません。
人の見え方はそれこそ多様で、
文字情報なら、より多くの人が見える・見やすい状況が
視覚のバリアフリーといえるのでしょう。
大きさもですが、自分の視力が衰えてきたこともあり
ユニバーサルデザインのフォント(UD書体、UDフォント)を
ありがたいと感じます。
だって全然見やすさが違いますもの!
私はとくに数字でしょうか。
「3」「5」「6」「8」「9」「0」
「3」「5」「6」「8」「9」「0」
「3」「5」「6」「8」「9」「0」…
へたするとわかんね。
モリサワさんのサイト
「オフィス伝わる」さんの「伝わるデザインサイト」より。
配色についてとてもわかりやすい。
【自分のガチャ目のこと】
幼い頃から左目の視力が悪く0.1程度、右目は普通で1.5で開きのある状態でした。もっとも、たぶん世界が見えるようになって以来ずっとそうなので、私にはそれが当たり前。小学校での初めての視力検査のあとで、「私は片側の視力が悪くて、みんなは私とはちがう見え方をしているらしい」ことに衝撃を受けました。同時に宝もののような感覚もありました。「私だけ」だから。
加えて、この左目は強度の乱視で、矯正視力が出にくいのです(0.5切る程度なら出ました)。母はいつも苦々しく「0歳児のころ、目のおできを眼科で切除した手術のせいだ」言いましたが、本当かどうかはわかりません。
医師には「視力のいい眼を酷使するので、右目の視力は将来どんどん落ちますよ」と言われていて、宣告通りになりました。みるみる右目の視力は落ち、高校時代には左目よりも右目の視力が悪くなりました。いつか将来、視力を失ってしまう恐怖がぼんやりありました。
メガネを作りに行くのは苦手で、左目が矯正視力が出ないために、もうなんかいろいろ時間がかかるのです。「事故で左は矯正視力が出ません」と伝えるようにしてからは、比較的スムーズになりました。ありがたいことに右は矯正視力がふつうに出ます。
ただ、ここしばらく矯正せずに過ごすことを試みるようになって、PC画面を左目で見ている自分を発見して驚いています。なんかもう、オレのからだ、ミラクル。自動で補完し合ってすごい!!というわけのわからない感動を覚えています。これもコロナ禍ステイホームの賜物と言えるかもしれません。家の中だと、裸眼で見えなくても怖くありませんから、呑気に挑戦できるのです。
かつて喫煙者だった頃、外で喫煙するときに、遠くばかりぼんやり眺めていたのも、目にとっては良かったようです。おかげで少し視力が回復しました。視力のためではなく、未確認飛行物体を探したい一心でした。ワクワクにかなうものなし(違