認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

高齢母、亡父への恨み言

5月1日は両親の結婚記念日でした。
とはいえ、父の生前から当の本人たちはほぼ覚えておらず、
私ばかりが覚えている状態ではありました。
それでも伝えると、母が心楽しくなるんじゃないかと思い、
前日夜と、当日朝に知らせました。

案の定、「あらー、そう!」と顔をほころばせる母。
「結婚してから70年、80年経つのかな?」
「兄さんが先日65歳だから、結婚66、67年くらいじゃないですかね?」
「そうね。すぐ子どもできたもんねぇ」

「父さんと結婚してよかったのはどんなことですか?」と訊いたら
「そうね70点ね」と母。※難聴のために私の質問と母の答えが微妙にズレます。
「釣りと麻雀と飲みで、うちに全然いなかったし…」
父さーん、母さんはまだ、
若い頃の父さんの行いを恨みに思っているようですよw。


釣りをする父に扮する母。母はいまだに毎朝父に「今日はどこに釣りに行くの?」と尋ねるらしいです。

父は、高度経済成長を支えた、昭和のサラリーマンのひとりです。
※「サラリーマン」。今は「オフィスワーカー」と言わなきゃアレですね。
そういえば、社宅の集合住宅に住んでいた頃、仲良しのご近所さんは、
休みになるとひとりで釣りに出かけてしまう父・残される母を揶揄して
母のことを「釣り後家さん」と笑っていました。
母は、休みの日にも父に構ってもらえないのが不服だった模様。

 

平日はというと、父の帰宅はいつでも深夜。ときに午前様でした。
「それでも先に寝ずに、待っていたからねっ💢」
子どもの頃、深夜に鬼の形相で、
玄関に座って父を待つ母を覚えています。
なかなか重い女です。
飲みや麻雀で父が遅いのがデフォルト。
23時、24時が父の帰宅時間の最多時間帯。
21時前に帰ってきたらすっかり緊張していました(私、父が恐くて苦手でした)。
しかし遅く帰宅してからも、持ち帰りの仕事をすることもあり、
子どもながらに父を気の毒に感じたことを思い出します。
まあ、よく仕事してはりました、うちでも。


70点かぁ…。なかなか渋い点数です。
自分の夫に置き換えて、
妻としての私が採点されることを想像して、
背筋がつめたくなりました。
私は70点もいかんかもしらんなぁw。

5月最初の日曜日。
まだ用意していなかった、1週間後の母の日に向けて
贈り物を手配しました。
とはいえ、日々母のお買い物をしているので、
ケもハレもごっちゃになりそうです(汗
まあいい。