認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

いよいよ死んだかと思いました(汗

朝食後の服薬支援を行いたいのですが、
冷たい冬の雨の朝だから、きっと母はお寝坊でしょう。
見守りカメラをのぞいても起床はまだで、ぐっすり。

ところが、ふた仕事くらい終えて、
1時間半後、10時前に再びのぞいても、
見守りカメラのスピーカーから呼びかけても、母の姿勢が変わらなかったので、
軽く血の気が失せました。
…いよいよ死んだか!?

 

「フク、もちつけ、もちつけ…」とかけ声をかけながら、
ダイニングへAlexa呼びかけしてみたら
画面の向こうに朝食を済ませた母が現れて、事なきを得ました。
私が、母が眠り込んでいると勘違いしたカメラ画像がこちらです。

向こう向きに母が寝ているように見えます。お腹の上で手を組んで…。
死んだかと思いましたw。

 

残念ながら、いつかはその日がやってきます(あるいは私が先ってコトもありますが、ややこしいので一旦置いておきます)そのときに、締めきりを気にせず、十全に悲しむことができますように…と願います。何事もタイミングよく進みますように。なにとぞ…。

思えば、2015年、九州で暮らす義母が亡くなったときはちょうど私の仕事のピークも重なり、葬儀の仕切りは義兄と夫に任せ、私はお通夜に滑り込みで帰省し、翌日葬儀、葬儀の日の夕方に帰京。夫側親族の心証を最悪にした前科があります。今も昔も寛大な夫には感謝しかありません(もちろん夫には先に帰省してもらっていました)。

「明日できることは明日やる」ということがやや苦手です。先に休息するよりも、できることなら明日のことは今日のうちに片付けたい。宿題はまず片付けてから安心して過ごしたいタイプ。小学校の夏休みの宿題は、配られたその日にほぼやっちゃうタイプの子どもでしたw。
不測の事態は起きるときは起きるし、しょうがありませんが、できることなら、そのとき自分の意識があるのなら、十全に苦しんだり、十全に悲しんだりしたいと望みます。締め切りとか気にせずに。

まだ20代の頃、39度の発熱下や、のたうちまわるような腹痛下で救急外来行って、帰宅後すぐ締め切り前の原稿書くのがつらかった。それから、インフルエンザの高熱で寝込んでいる自宅に、バイク便で即戻しの校正が届いたり、入院先の病院に色校持ち込まれるのもつらかった。

山あり谷あり乗り越えてきたブラックな労働環境は今も軽くトラウマで、つらくなったときにちゃんと休める状況にしたいと思う私ができました。全部、現在の私を作ってくれたものだと思うと、今は愛しさと感謝しかありません

一方で、現在は加えて介護の問題に直面し、家族の他界も範疇になってきたのでとくに考えざるを得ません。今日みたいなドキーン!!なことがあると、そんな思いを強くします。