「今日は誕生日だから、半日は人のために時間使おうと
畑の野菜を親戚や職場の方に配りました」
仲のいい友人が誕生日だったので
お祝いをメールしたら、こんな返事が来ました。
尊い。尊すぎる。愛の人だ。素晴らしいものに触れてすっかり高揚したわたくし。
彼女の爪のアカがほしい。
同じ日、私の亡父の誕生日でもありました。
普段は母にあらためて伝えることはありませんが、せっかく実家に一緒にいることだし、
「今日はお父さんの誕生日だからお祝いしようね」と提案すると
「そうね。お誕生日。お祝いね」と母。
3分後には
「ええと、お父さんの誕生日はいつだっけ?」ときます。
大丈夫だ、母さん。おれ、一生ずっと耳元でささやくから、
安心してどんどん忘れていいからな。
ご近所さんから頂戴したお芋をふかして、父にお供えしてから、母娘でいただいて。
父が好きなのは、“ふかし芋”ではなく、“芋の天ぷら”なのですが
そのへんはご愛敬…。明日は芋の天ぷら、作ろう。
残念ながら、今、母の心を占めているのは、
父の誕生日ではなく、以前ともに暮らしていた黒猫のタンゴからの“恩返し”です。
帰省した日に、母がそれは嬉しそうに言いました。
「あのさ、この間聞いたの。
ペットって死んでから、生きているとき以上に、
大切にしてくれた人に恩返ししてくれるんだって」。
父が末期がんの闘病で入院し、この家に母ひとりになったとき、
ひとりぼっちの母をそばで支え続けたのがタンゴ。
父が亡くなってからもずっと、10年を母に寄り添ってくれました。
母は、そのタンゴからの恩返しを期待しているらしい。
この話、今回帰省してから、日に5回は聞いています。
そう語る母がしあわせそうで、ほほえましくて。
本当は、恩返しを期待しているのではなくて、
そんなに近くにいるんだと、あらためて誰かに言われたのが嬉しかったんでしょうね。
「今の優しい時間をもたらしてくれたのが、タンゴだったりして」とか。
今もダイニングの一角で母を見守り続けるタンゴ。もともとは私が飼っていましたが、母がひとりになってしまうので、タンゴに私が「お母さんの面倒をみてほしい」と頼みました。そして、タンゴ、大阪から九州にお引っ越し。ADHDで難聴の母と暮らすのは、タンゴにとって大変なこともたくさんあったと思いますが、よく務めてくれました。10年以上を母とともに暮らし、2003年、タンゴはダイニングテーブルの上で、母に看取られながら亡くなりました。遺骨は、母がいつか旅立つときに棺の足元に入れ、母のお供をさせることになっています。