認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

介護帰省の最大タスク。91歳の母、友人たちとのお誕生日会

介護帰省始まりました。
帰省初日は最大タスクの、母のお誕生日会です。
実は朝から訪問介護(52回目)で、
お誕生日会のことや、私が入れ違いで帰省することを伝えたら
「わかりました! それ前提で掃除しておきます!!」
とヘルパーさん。ほんっと助かります。
私が帰宅したときは、水回りもトイレも、リビングやダイニングの床も
すっかりきれいで見違えました。ありがたかったです。

 
みなさんの支えがあって
おかげさまで、母のステキお誕生日会がかないました。
「全部持っていくので、なにも用意しなくてもいいから」とお友達に言われて
お言葉に甘えて本当になにも準備せずお待ちしていたら、
ものすごい荷物のみなさんが現れて…
バースデーケーキと、二段重に詰めたお弁当、
シチューにおそうざいが、所狭しとズラリ。
お弁当やおそうざいはすべてお手製です。
お祝いの鯛の塩焼きまで入っていて圧巻。
夢のようなお誕生日ランチでした。

  

母、難聴で(もともと片耳ろう、からの老人性難聴)、
聞き取りやすいように耳元で私が通訳してようやく会話に入ってこれる感じ。
それでも楽しそうでしたし、
最近作っている句もたくさん披露したし、
お歌もたくさん歌ったし、
ごきげんさんに過ごさせていただきました。

 

ただ、皆さんの会話には母はもうほぼ入れません(おそらく皆さんにはわからない)。
その場を離れて、私がキッチンで山のような洗い物をこなしていると
母がすーっとやってきて
「フクはあっちにいてみなさんのお接待しなきゃだめよ」

自分ではもうできない代わりに、娘に場を温めてほしいようでした。
皆さんの中にひとりでいるのは、ちょっといたたまれないのかもしれません。
お話がわからないし、目はかなり見えないし、つらいところです。

それはそれとして、聞こえたときは、お友達の海外の土産話に呼応して
母は「自分も海外に行った超作話」が始まってしまい、
私が母の話を強制終了させてしまう一幕もありました。
人には、自分の物語が必要です。
母も多分そうなんでしょう。
必要なのに、自分でわからないから、物語を作るんだ。


すごく楽しくて、感激していた母ですが
直後にはスコーンと忘れます。
お弁当を食べたことも、それをお友達が作ってくださったことも、
みなさんにお祝いしていただいたこと、全て。

まあいい。
どこかの引き出しに、きっと「楽しい♪」が残っているはず。

 

母のお友達に、お礼のショートメールをお送りしたら返事が来て
「娘さんがいると別人のように元気になるのを見て安心した」
とコメントをいただきました。やはり聞こえの問題ぽいなぁ。
まあいい。

お誕生日ディナーはお約束の「銀のさら」。ネタを入れ替えて、母が大好きないくらが4貫入ってます。こちらも喜んでくれました。