先日の帰省の折に、お膳の上に置いてあったものを
ラッキーにも見つけてしまいました。しめしめ。
昨今の値上げラッシュの一部を紹介した新聞記事を見て
「まあ、たいへん!」と切り抜き、
母は取り急ぎ、買うものを書きだしたと思われます。
実家は、このように無造作に置かれた母の走り書きや買い物メモであふれかえっています。
とくに買い物メモはおもしろいほど出てきます。
しばらくじっと切り抜きと買い物メモを眺めてから、
「ごめんなさい」と、奥深くに隠しました。
捨てなかったのは良心の呵責…(汗。
積み上がっている紙類の間にひょいと入れ込みました。
70年代のオイルショックで振り回された母は、
「値上がり」のワードに敏感に反応します。
しかし実家には、お醤油もマヨネーズも買い貯めたものがいっぱいあるし、
消化するほうがたいへんな状態です。
それに、価格に釣られてアルコール入りのお醤油を買われた日には目も当てられません。
さらに言うなら、もう何年も、母には菜種油は食べさせていませんが、母は気がつきません。
今実家にある調理油は、揚げも焼きも、ほぼ白ごま油です。
※サラダはときどきオリーブオイル。
これもストックはたくさんあります。
便せんにいたっては10冊以上、いや20冊近くがいろんなところから出てきます。
コクヨの便せんを、母はノート代わりにじゃんじゃか使って、
しょっちゅう買いたしています。
もしかすると、使い切ったことはないんじゃないか???
切り抜きと買い物メモを隠すと、母にとっては、
なにもなかったことになります。
少々後ろめたい反面、
ことを荒立てずに納めるには、これがいちばんとも思います。
同時にアンビバレンツで、
もしも私が隠される立場ならものすごくイヤだと思いました。
でもごめんなさい、母さん。
食べ物を廃棄したくないので、やはり私は隠します。
さらに私の妄想が膨らみます。
これこそが「神隠し」のシステムで、
このようにして私の人生のなかからいくつかの大切なものが
第三者によって隠されていたとしたらどうしましょう……。
私がやったということは
私が人や周りからされるということもあるのかもしれません。
母に対して私がやったのだから、
私に対してやる人やものを責められないではありませんか。
もしも未来の私に「やる」のが、
過去の私だったりしたらどうでしょう…などなど、妄想が止まりません。
暇なの!?
……まあいい。
値上げは半端ありません。シュールです。