画伯・絵。押しつけると返しがスゴイです…
昨日も書いたとおり、
実家で母が超自己流で神祀りしていた食器棚の上をあらためたら、
神社さんの古札がしっちゃかめっちゃかな扱いを受けていました。
昨日の記事…
じつはそういう問題は家の中のあちこちで散見するのですが
それでも母は信心深いので
“しっちゃかめっちゃか”を知ったら大いに嘆くだろうと
勝手にしかるべき始末をさせていただいています。
結果的に、お札をぞんざいに扱っていたからといって
母に「バチが当たる」こともなく
もちろん「障りがある」こともありません。
神仏は私が思う何倍も懐が深いんじゃないか
と感じています。ありがたいことです。
介護帰省を始める2016年以前、
実家は、開かずの間が増殖し、モノにあふれていました。
カオスでしたが
だからといって母は不幸ではありませんでした。たぶん。おそらく。
とてもお金持ちというわけじゃないけれど
衣食住に困らない老後を過ごし
社会とのつながりもあり、気楽なひとり暮らし。
娘からはふつうに元気な高齢者に見えたよなぁ。
なんなら私よりもずっと強運なんじゃないか。
散らかっていようが、開かずの間を作ろうが、害虫がいようが、
本人が気にしていなければさほど問題はないのかしら。
うまく回っているのは
エネルギーバランスの問題なのか? 本人の守りが堅いとか?
そうはいっても、カオスな空間は、
高齢者が暮らすのに勝手が悪いし、
認知障害には悪影響だし、
物理的に体を害することもありますからね。
とりあえず母の快適空間を想定して、私はガンガン実家を片付けました。
最近はひと通り、手をつけたあとですから
片付け&掃除もずいぶんラクチンです。
今でも母は一貫して、モノを減らそうとする気配はありません。
それでもチラチラッとでも見てもらえることを期待して、
密林で取り寄せたやましたひでこさんの書籍を、
ダイニングにさりげなく置いてから帰京したことがあります。
翌月に帰省した折りには、遠くへに追いやられていました。
見つけて開いてみると、
「もったいない」「絶対に捨てません」
「モノは私のいのちです」「一切手放しません」
「私が死んでから捨てやがれ」等など
宣言とも思しき殴り書きがあちこちにありました。
……お、おう。見たってことだよな、母さん。
ちょっとアファメーションみたいでした。
母には「のれんに腕押し」だった本がこちら。私は楽しく拝読しました。定年後に沖縄移住、憧れるわぁ。
とはいえ母は、スッキリした空間に身を置いてみて初めて
「気持ちいい!」を実感できることもあるようです。
たとえば隅々までピカピカにしたお風呂で入浴すると
よほど気に入るのか、
「この美しさを保つよ!!」と意気込みます。
「快」の感覚は、触れてはじめて開くのかもしれません。
だからといって、片付けられないといろいろうまくいかないのかというと
そんなこともないんじゃないかな。
汚部屋の住人がみんな不幸なわけじゃないと思う。
今より少しでもよくなりたいと願うのは人のサガですが、
「こうしないと幸せになれない」なんて、自分で呪いをかけてはだめ。
片付けできないことで、人は不幸にはなりません。
だって、できないだけだから。
人と違うだけだから。
そんなことをもにょもにょ思いながら手を動かします。
※私は幼い頃から片付けが好きなタイプ。
もしかするとモノにさわるのが好きなだけかもしれません。
時々開く本。2001年刊行なので「痴呆」などの言い回しが気になりますが、私は読むたびに冷静な視点を取り戻せます。以前にもご紹介しました。『病んだ家族、散乱した室内』