認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

高齢母の水子、わたしの姉のこと

転勤族で、墓所から遠く離れたまちを渡り歩き続けたこともあり
お盆の行事とは縁遠く暮らしていました。
昔も今も、お盆に何をするか、母はよく知らないのだと思います。
「亡くなった人たちがうちに帰ってくる」ということは知識としては知っています。
ただ、毎日仏壇で父と語らっている母にとっては
「毎日話していますけど、なにか?」みたいな気持ちなのかもしれません。

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お盆の初日の朝に、私が作った精霊馬を見て、大笑いした母。
ふたりで朝食を食べながら
「ねえ母さん、どなたが帰ってくるかね?」と聞いたら
「お父さん、ミツエばあちゃん(姑)、子飼のじいちゃん(舅)、賢木のばあちゃん・じいちゃん(母の育ての親・母の祖父母)、ミカちゃん…」
と言いました。
そうか、ミカちゃんはここでもう出てくるんだな。
そのあと、母の実の父母、養父、飼い猫たちの名前がどんどん出てきました。
私が話を切らなければどんどんどんどんもっと出てきたことでしょう。


ミカちゃんは、私の姉で、水子です。
兄よりも先にいたうちの子。
初めて「水子」という存在を知った小4のときに、
うちに帰って「お母さん、水子って知ってる?」と母に尋ねたら、
「うちにもいるよ」と言われて、いない姉のことを聞きました。
不思議な気がしました。
〈もしも〉〈たられば〉を想像すると、“今”がなくなるからです。


ミカちゃんについて、詳しい話を聞いたのはわりと最近のことです。
5年くらい前だったでしょうか。
少々ぶっ飛んでいる話で恐縮ですが、
〈亡くなった父が、小さな女の子と手をつないで幸せそうに立っていた…〉
という私の見たイメージの話をしたときに、母が
「よかった、ミカちゃんだ! お父さんとちゃんと会えたのね!」
と目を輝かせました。
「ミカちゃん!? え、ちゃんと名前も付けてたの? しかもミカちゃん???」
「名前つけてたよ。きっと女の子だと思ったから」と、母。

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それまで、私にとっての「ミカちゃん」は、
生まれたときから一緒にいたお人形のひとり。
物心ついたときからすでに、ミカちゃんはミカちゃんでした。
なぜミカちゃんなのか、考えたこともありませんでしたが
産んであげられなかった子を思う母の気持ちが、
その子と同じ名を人形につけて、大切に可愛がることにつながったのではないでしょうか。
母さん、産みたかったんだね。


そのときに聞いたこと。
本当は、ミカちゃんは、流れてしまったのではなく
流されてしまったいのちでした。
父と母が結婚する前に授かったいのち。
だけど、田舎の体裁、女手ひとつで育ててくれた育ての親のばあちゃん(私の曽祖母)のことを考えると、
結婚前に産むわけにはいかなくて…と
涙ながら語る母の懺悔を、そのとき初めて聞きました。


母も60年以上、ずっとつらかったことでしょう。
「そうかそうか、つらかったね、悲しかったね」と
泣きながら話す母の肩を抱きました。

母を責めることはできません。でも
そのあとひとりになったとき、慟哭しました。
ミカちゃんがどんなにわたしをうらやましく思っただろうとか、
きっと母のことも大好きだし、私のことも大好きで、
いつもそばにいてくれたんじゃないか、とか、
今まで気づいてあげなくて申し訳なかったとか、
たくさんの思いが去来しました。
ふたり分、ちゃんと生きなきゃな。
今、体があることに感謝しなきゃな。
今も、ミカちゃんへの思いが募ります。


というわけで、お盆に帰ってくる人たちの
ザ・ファミリーの上位に、ミカちゃんの名前が、普通に出てきたことを
とても嬉しく思いました。
ミカちゃんはいつも母の中に居つづけるんだな。
やっぱりお盆じゃなくてもちゃんとここにいるのね。
そして、ミカちゃんも母さんのこと、大好きなのね。

そんな、よいお盆を過ごさせていただいています。

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ちなみにこちらはゆりセンパイ(私よりセンパイ。赤ん坊のとき、寝かされた写真はいつもゆりセンパイといっしょです)。母の実母の名からとけたと思われます。もちろん名付け親は母。

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こちら、母の子分のアングリ。アングリは、母が幼少の頃の飼い猫の名です。