また先日の介護帰省時の振り返りです。
いい加減、もっと大人になりたいと思うんですけど。
ちょっとしたことでやさしくできず、イラッとする私がおりまして。
いけません。
私の「イラッ」は、私自身が現状認識できていない証し。
母性や人としての立ち居振る舞いなどを母に潜在的に求めてしまい、
潜在的に期待をしている裏返しでもあります。
ブルーベリーの木が2本あるので、木によって皿を分けて見ました。全体的に実が少なくついている木のほうが甘く、実も大きいです。
昼ご飯の仕度をしながら、
庭で摘んできたばかりのブルーベリーの皿をテーブルに出しました。
それを見た母
「これは洗ってるの?」
「洗いましたよ」
「これは洗ってるの?」
「洗いましたって」
「これは洗ってるの?」
「だから洗ったってば!」
「そんな言い方しなくてもいいじゃない💢」(泣き出す)
やさしく対応できなくてすみませんね、と立腹しつつ、
聞こえなかったのか、悪かったなと反省しつつ、
それでも母がご飯がおいしく食べられたらケロッとするから問題ないか…と
泣く母は放置して、粛々と昼ご飯の仕度を続けます。
ふつうは悲しみでご飯がおいしくなくなると思うのですが
幸いにも、多動な母の悲しみや怒りは
「おいしい」「おいしそう」で感情がすんなり上書きされることも多いです。
…お昼ご飯はカレーマルシェですけどね。
「目玉焼きの縁のところがカタいのがイヤ」と言う母のために
縁をパリッとさせない焼き方を試みて、わりと成功しました。
ニンジンのスライスやらっきょなど、母好みのものをちんまり盛っています。
この少量盛りが母にはグッとくるはず。
直前にやりあったこともあり、
無駄口きかず、食べるに集中できたおかげで
最後までぺろりん食べてくれました。よかったです。
結果オーライかも?