認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

2015⇒2023 認知症タイムマシン

ひょんなことから昔のテキストを開けたら
母のことをまとめたのが出てきました。
思わずタイムマシンに乗りました。


2015年の母、83歳。若いぞ! 私が最初に認知症の疑いをかけて、母から「二度とこの家の敷居をまたぐな!」と三行半(!?)をたたきつけられた頃。いけしゃあしゃあと何度でも敷居をまたいでおりますw。


2015年。
義理母が亡くなり、義理親がふたりとも他界したので
これからは独居の実母を、
誰にも遠慮することなく、しっかりお世話しようと思いました。
もともと、私は高校時代に家を飛び出して以来、あまり実家には寄りつかなかったのですが。というか、きょうだいも滅多に実家にはよりつきません。3年とか5年に一度1泊2日程度。ドライな家族で。

 

ある日、衣裳持ちの母からリユースを譲ってもらおうと考えたわたくし。
コミュニケーションの一環です。
「いらなくなったものをなんでもいいから送ってほしい」と頼みました。
それまで、そういう頼み事をしたこともありませんでした。
袋いっぱいに山と服が送られてきました。
開けたら、グシャグシャだわ、95%は食べこぼしのシミで着られないわ、
食べこぼしがなくてもヨゴレがひどいわ…といった状態で。
それを見て、なにか決定的な異変が起きていることを感じ
東京で、服を抱きしめて泣きました。これが2015年。

 

確かめるべく、久しぶりの帰省。
このときの台所の状態(2015年)。


部屋が異様に汚かった。
   もともと片付けは苦手な人ですが、いろんなところに臨終食材がありました。
   台所だけではなく、山のようになった書類の間から
   コロッケが出てきたり唐揚げが出てきたり。
ゴミと必要なものが混在。
   紙袋をゴミ袋代わりにしているのかと思えば、中から大切な物が出てくる。
   また大切なものを入れている袋にそのままゴミを入れてしまう。
✔冷蔵庫が臨終状態。ものが垂直に押し込まれ、庫内つゆだく状態
✔焦げて使えなくなった、死亡の鍋、多数。
✔仲の良かった友人の生死が不明に。
   さっき「亡くなった」と言ったと思ったら、15分後には「元気かな?」。
✔感情の起伏が激しすぎる。
   自分の子ども時代の話の中に閉じこもり、泣き出す。
✔5分おきに「何時のバス?」と聞いてくる。
✔話のつじつまが合わない、
   私の話もあまり理解していない模様(聞いたフリはする)。


今見ると懐かしいです。
部屋は当時からは見違えるほどきれいになり、
週一訪問介護のおかげでキープできています。
遠距離介護で介入できてよかった。
ここからほぼ1年間で
2トントラック1台、軽トラ3台分の不要品を廃棄しました。

2階の母衣裳部屋。1枚目がbefore、2枚目がafter

   ↓  ↓  ↓

不思議なことに、空間が片付いていくたびに
母が少し元気になったような気がしました。
気のせいかもしれませんけど。
ずいぶん片付いてきた頃の大型ゴミ出し。おれがんばった。

時は流れ、8年経過し、
ご友人の生死不明は、いっそう不明に!!

母が、子ども時代にはまり込むことは激減しました。
毎日Alexaで顔を見て話しているので「今ここ」は前よりわかっているみたい。


「何時のバス?」
と繰り返し聞くのは、
今では30秒おきになりましたw

5分に1回なんてちょろかった…。そして人は慣れるものですね。

 

話のつじつまはさらに合わず、作話が炸裂、
私の話はほぼ理解しません。
でも、母は時に私にお世辞を使いながら様子を見ていますw。策士ですね。

何より、わりと毎日楽しそうに暮らしています。
情感豊かです。
息は上がるが足は動く90歳。

今日届いた夕食のお弁当を見せてくれる母。
「お弁当は毎日メニューは同じなんだけどね」。

いいえ、毎日違うメニューです、母さん!

まあいい。