高齢ADHD母の遠距離介護記録

89歳独居の母は、どうやら高齢者のADHDのよう。東京~九州で、遠距離介護しています。私1965生。介護しながら母娘関係をおさらい、修復しています。

ごきげんの問題 自分と周りとの境界を意識する

いつもニコニコしていたいと思っています。
表情というよりも気持ちの問題です。「わたしは、ごきげんがいい」。
気持ちが表情に引っ張られることも多いので
できれば表情もふんわりしているほうがいいかな。

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本当は、わたしがごきげんでいると決めれば
それはなかなか損なわれるものではないように思います。
ごきげんは、本来、
外の事象に、振り回されるものではないからです。

たとえば、雨が降っても晴れても暑くても寒くても、
それぞれに対するリアクションとは別に、わたしはごきげんでしょう。
サクラが咲こうが散ろうがごきげんです。
よいものを目にしたら眼福だし、
悪しきものを目にすることもあるかもしれないけれど、
どちらであってもごきげんでよいと思っています。
それらの感想とわたしのごきげんは別もの。

目の前に苦しんでいる人がいて、気持ちを寄せることはあっても
そのことによって自分のごきげんが損なわれるものではない。
つらく悲しい気持ちのときも、それとは別にやっぱりごきげん。
自分の病や痛みがあったとしても、私のごきげんは別物です。
痛みや不快感と、ごきげんの共存は少し難しい気もしますが、
そう、「気」だけの問題です。
だって、痛くても不快でも、たとえ負の感情が噴出しても、
今生きているのですから、
肉体を持ちつつの、ものすごい体験なのです。めくるめくような。
ネガティブなダメージは、
インパクとが強いのですから引きずられそうになって当然です。


「引きずられそうに」とかいいながら、
ふとした拍子に、周りのムードというか波にすっぽりのまれて
「もういやっ!!」っと、力を込めてしまうこともあります。
ごきげんなんかそっちのけ。
…そんなこともあるよなぁと思いながら、
気がついたらそのたび深く呼吸をして、切り替えて。
まぁいい。

またごきげんを味わいたいと思います。
「ごきげん」は「しあわせ」にも置き換えられます。
自分がどこに立つか、それだけの話です。


ハタと気がつくと、
母と自分の間の境界線を見失いそうになっていたことがあったので
やばいやばいと思って書きました。
たいへんなことがたくさんあったとしても、それと自分のごきげんは
切り離すほうがいいです。
ごきげんやしあわせは、条件付きのものではないからです、ほんとうは。
ひとりさっさとなるものです。

今さらなにゆうてんの、でしたらよかったです。
失礼しました。

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男鹿の民宿にいたねこさん。2018年11月ですって。「男鹿のなまはげ」の世界文化遺産登録直前です。