認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

ちょっと進行したかもしれないな、母

木曜日に帰京しました。
別れはせつない。
直前までカリカリやりあって大変なんですが。
私はもっともっともっともっと大人になろう。
母が生きているうちに。

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今年もバス停にコスモスが咲いています。それじゃあねぇ~!!

搭乗便の席は結構空いていました。
機内に乗り込んで着席した瞬間、
真後ろの二人連れ男性のおひとりが深刻に咳き込む方で、
会話も多いことに気づき、怖いと思ってしまいました。
失礼だし申し訳ないとは思いましたが、背に腹はかえられず。
通りすがりの客室乗務員さんに、アイコンタクトし、
近寄ってくださったところでサッとメモを渡したら、
目を通すのとほぼ同時に、「こちらへどうぞ」と、
離れた席に誘導してくださいました。
素早い。そして乗務員さんの腹話術師のような会話術が超スマート!!

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最初の席の滞在時間は2分ほど。
後ろの方には、最低限の失礼で済んだような気がしました。
おかげで安心安全な空の旅。感謝します。
後から思った、オゾン発生器オンしてもよかったのか。いや効果は不明で、気のものかもしれませんけど!


今回は再び介護の位相が変わったと感じました。
あくまでHSP的なキャッチですけど。

母、自宅の電話番号や住所が
咄嗟に出てこなくなってしまったようです。

自室で仕事していたら、
隣の居間から母の電話をする声。
「わからないのよ。…わからないの! わからないとお願いできませんか!?」
!?
妖怪アンテナがピコっと立ち、ダッシュで駆けつけたら、
銀のさらに出前をお願いしようと電話するも、
尋ねられた自宅電話番号を思い出せずに、押し切ろうとしているところでした。
…母さん、やるな。


母は比較的数字に強い人だったこともあり、
軽く衝撃受けました(私が)。

とはいえ、またスルッと出るようなこともあるだろうとは思います。
とりあえず、電話のそばに、自宅電話番号と住所を書いてアンチョコにしました。
「大きく書くな💢」とのお達し。
…まあいい。

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母、念願の銀のさら。母は少ししか食べられない&赤身はきらい(でも握りが食べたい)なので、食べられないものがじゃんじゃか私にのってきます。さらにここからトレードが進みます。
電話口で「ふつうの寿司桶にしますか、プラスチックパックにしますか?」と聞かれて、「お宅の楽なほうにしてください」。さらに「何時にお持ちしますか?」と聞かれて、「夕食。お宅がいちばん楽な時間でいいです」
…なんかもうスゴ技です(もちろん、どちらも回答すべき内容がわからないのでこう答えています)。


今回は母、よく泣きました。
おいおいと、さめざめと、
時には子どものように、狂言のように「えーん!!」と泣きます。
ワケを聞くと私が帰るのが悲しいらしい。
そんな殊勝な!?


代わりにというか、
今まで繰り返されていた母自身の幼い頃の話が、
ほぼ鳴りをひそめました。 
とりあえず事実を受け止め、考察はのちにゆっくりと。

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アレクサ呼びかけで、羽田空港から着いたコールしました。
よかった。母、ごきげんです。
ところで、かわいいTシャツにお着替えしているのはなぜなの?