認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

お別れに寄せて

先週末、知己のお父様が亡くなられました。
お父様、御年九十九歳。
火曜日にご葬儀です。


九十九歳。たいそう立派な年齢ですが
ご本人はまだまだまだまだ、
あと20年ばかり楽しく生きるおつもり、
200%でいらしたことと思います。


もうすぐ百歳。とはいえ、私も訃報を聞いて驚きました。
え、まだ全然お元気そうだったのに。
周囲の人たちも、ご高齢ゆえのご覚悟はあったとはいえ
青天の霹靂のようなお別れだったかもしれません。
きっとまだまだまだまだ、お父上のわがままに
振り回される日々が続くと思っておいでではなかったでしょうか。
たとえ、もしも、口喧嘩したままで別れてしまったとしても
喧嘩上等!! 絶対大丈夫。
今頃お父様は少し上から葬儀の支度を眺めながら
ようやく冷静に、息子(←知己)を見直していることと思います。


御年九十九歳。九十代前半の妻とふたりで
ご自宅で過ごしておられました。
家事のサポートにヘルパーさんはお越しでしたが、
ご自身の身体介助でお世話になることもなく、
デイサービスのお世話になることもなく、
ご趣味は新聞投稿!
ゴーイングマイ・ウェイ!」で、
周囲を振り回し、しょっちゅう息子に喧嘩を売り、
ちょっぴり多動気味なお父様でした。
加齢で自身の体が動きづらくなってからは、
ラカン息子の体をアゴでこき使う日々w。


九十九歳のお父様は、あれこれ病を得ていらして、
なかでもがんを患ってかれこれ十年以上、
切った張ったを繰り返しておられました。
何度も救急で運ばれて、そのたびに不死鳥のごとく蘇って周囲を驚かせ、
率先して「悪いところは切ってくれ」と医師に懇願し、
たしか昨年もオペをして、
その病院の「高齢者手術」についての新記録を作ったはずです。
たしかつい先般にも「切ってくれ」。
医師が「もう切りません💢」という対応だったと伺いました。
頑固一徹。やんちゃな父上を支えるご子息は、
たいへんなご苦労だったと思います。
でもきっと、困りながらも、
まだまだ振り回されたかったんじゃないのかな。

 

御年九十九歳。
戦地から九死に一生で生きて帰ってくることができ、
だからこそ、亡くなった戦友の分までと意識しながら、
しっかりきっぱり生きておいでだったと思います。
妻も息子も、周りの人は振り回されて大変だったと思いますが
呆れながらも夫を支える妻、父を立てる息子、
素晴らしいご家族に囲まれて
しあわせでいらっしゃったろうと思います。

 

お父様があともう20年生きたかった分は、
きっとご子息がちゃんと果たして人生を楽しんでくれることでしょう。
もっともっとお元気な姿をうかがいたかったし
知己の介護グチを聞きたかったです。


九十九年間、たいへんお疲れ様でした。
ご冥福をお祈りいたします。

これから四十九日間、さまざま旅をされることでしょうね。
わたしもお父様の気配を感じさせていただこうと思います。

 

ただ毎日同じように生きているだけなのに、私たち。
ぐわっと物事が動くような気配がすることがあります。
それが人生なのかもしれません。私たちはただそれを
どんなでも甘んじて、味わわせていただくのかなと思っています。

これは、かけがえのないわたしのいのち。
わたしだけのたいせつな経験。