認知症母の遠距離介護記録

91歳独居の母は要介護1。認知症で高齢者のADHD、片耳ろうからの両難聴。眼底出血による視野狭窄と視力低下。そして腰椎圧迫骨折!! 東京~九州で、遠距離介護しています。執筆者は1965生の娘。いろいろあるけど、まあいい!

家事、オール自己流

裸眼0.02程度、矯正視力も両目で0.5程度。
人より見えていないので、
ヨゴレなどを見落とさないように目を気を配っているつもりではありますが
やらかすこともしばしばです。

食器を洗う際には、自分の場合は
目視よりも、触るほうが多分確実と思いながらやっています。
指先、てのひらで、食器の面や線に非常によく触れます。
耳もよくそばだてます。食器のコンディションがつかめるように。
五感で食器洗い。

最近、衝撃だったのは
1年以上、朝晩清潔に管理しているはずの、
神具の水玉の蓋の裏側がけっこう汚れていたことです。
毎日使うものなのに、全くヨゴレに気づいていませんでした。
まあいい。とにかくすぐキレイキレイにしました。

 

【ヨゴレを落とせてなんとかキレイになりました】


ふと自分の幼い頃のことを思い出しました。
食器を最初に洗ったときのことを覚えています。うれしかった。
物心ついた頃、3歳、4歳から洗い物をしていました。
流しに身長が足りず、お風呂場の椅子を持ってきて踏み台に。
やらされたのではなく、やりたくてたまらなかった。
母のマネをしたかったのだと思います。

 

「よくすすいで洗剤分が残らないようにしなさい」
だけ、母に教えてもらいました。とても大事なことです。
ほかの家事同様、台所仕事もほぼ見よう見まねで大きくなりました。
だから本当はなにが正しいのか、実はよくわかっていません。

 

とくに幼い自分にとっては母が正義だったので、
母みたいにやりたかった!! それがカッコイイ大人だと思っていました。
お箸はまとめてガチャガチャガチャガチャとすすぐのが格好いいと思っていました。
水切りカゴはたえずいっぱいに食器があるのがふつうで、
そこへサーカスみたいに食器を載せるものだと思っていました。
食器は欠けているのがふつうで、ガシャン!となるのがふつうで。
「床に水を散らしてはいけない」は母に言われましたが
シンク周りに飛び散った水を拭き取るなんて、思ってもみませんでした。

 

そんな、私がお手本としていた母が、
実はなかなか粗雑な人だったのだと気がついたのは、ずいぶん大人になってから。
ここ20年くらいのことです。
ひとつの認知のゆがみだったのかもしれません(汗

 

そのゆがみや思い込みを、
なじみのお店のマスターやママたちの所作、
下宿のおばあさん、義母ら、諸先輩方や友人たちの立ち居振る舞い、
料理の先生やスタイリストのプロのお仕事を盗み見ながら修正し、
映画やドラマに出てくる台所シーン、雑誌の記事のひとつひとつにかぶりつき、
惚れ惚れし、やがて自分の血となり肉となり、
今日の私をつくっているのだと思います。
育てのみなさんありがとうございます。

 

食器洗いはもちろんのこと、台所仕事、いや家事全般、
ふんわり自信がありません。
オール自己流。

大丈夫、それでも生きていけるのです。もうじきアラカン
もとより、ほふく前進で切り拓くほうが性に合っているので
よかったのかもしれません。
今時、家事を親から仕込んでもらう人がどのくらいいるのか
見当もつきません。

では母はどうだったのか、思いを馳せてみると
実の母と離れ、祖母と暮らしていた母もやはり
とにかく手を動かし、子どもなりにおさんどんして
切り抜けて来た人でしょう。やっぱりオール自己流に近いはずです。
母さん、頑張って生きてきましたよね。上等!!
誰が褒めなくても私は褒めるぞ、と、ちょっと思っていました。
いや、そんなシーンもありませんが。
まあいい。