先日は父の命日でした。
1993年の松の内に亡くなったので
今年で満29年。「30回忌」にあたるのかな。早いです。
当然のこと、母の悲しみ方は30年の間にずいぶんおだやかになりました。
母は60歳になる前に夫を喪って、亡くしてから5年間ほどは
人様にお目にかかるときは、夫の話ばかり声高にしていました。
我がことばかりしゃべりまくっていたのです。
いかに素晴らしい夫であったか、いかに素晴らしい家庭であったか。
ヒステリー気質なので、話ながらよく泣きました。
とくにご夫婦とお目にかかるのがつらそうでした。
時間薬とはよくいったもので、
長い時間が流れて、見送った苦労や喪失感、つらさが風化してしまうのは、
とてもいいことだと思って母を眺めています。
先日の話。
父の命日を迎えるにあたり、前の日に母へ情報を伝えておけば
いちばんいい形で懐かしんでくれるんじゃないかと、
前日夕方のAlexa呼びかけで伝えました。
ところが何度伝えても、うまく母の中に入らず、母は
「明日はいつ?2月だっけ??」などと繰り返していました。
母はすでに、父の好物は全く思い出せないので、
「お父さんは和菓子が好きだからコンビニで買ってくればいいですよ」
と伝えたら、「そうよね、そうしよう」と素直です。
「生きている人が一番大事。無理は禁物ですよ」と私が言うと
「そうよね!」と笑って応えていました。
母が思い出すことができるように、
父の命日当日はお昼前に、もう一度Alexaで呼びかけたら。
まさかのことでした。
母が、父の大好物だった、だんご汁を作っている…。
わざわざ生地を持ってきて、Alexa越しに見せる母。
父の好物を覚えていることにも驚きだし
料理をしていることにも心底驚きました。
もともと母は、人様に教えて差し上げるほど、だんご汁を作り倒しておりましたが、
リクエストする父がいないから作らなくなって、25年ほど経つでしょうか。
画面の中の母は、それは器用に生地をつくっていました。
ただ、生地を振り回して遊ぶこと甚だしいのですが
それもご愛敬です。
次回の帰省時にでも
作り方を聞いてみようかと思うのでした。
きっと父も大喜びのことでしょう。
その時まで覚えていてくれますように!
1枚目:東京自宅のお供え状況。 2枚目:この日、東京は10センチの積雪がありました。
私はというと、父を喪って胸の中に刺さっていたトゲみたいなものは
長い時間でうまく鞘がついて、多少動いても感じる痛みは少なくなりました。
それでも相変わらず、父の闘病生活を見守っていた日々は、昨日のことのようです。
今でも実家空港の出口を出るときは、父の姿を探してしまいます。
私を迎えに、ニコニコして立っている気がして、胸の中で「ただいま、父さん」とつぶやきます。
30年経ってもなにも変わりません。
そしていまだにすぐ近くに、呼べば来てくれるような気がしてなりません。
「ああ、父はいないんだ」と思うと、さびしさで胸に穴がほげる…30年経っても。